海辺で目を閉じて両手を合わせて座る女性

心の断食「マウナ(沈黙)」で自分と向き合う

みなさんはおしゃべりが好きでしょうか?

友達同士でカフェでおしゃべりをしたり、仕事帰りに1杯飲みながら愚痴をこぼしたりして、日頃のストレスを発散しているという人も多いかもしれません。

しかしヨガではおしゃべりは思い込み(無知)を増大させてしまうものとして、あまり良いものだと考えられていません。

マウナという沈黙の行を行うことによって、真実に近づくことができると考えられています。

心の断食「マウナ」とは?沈黙は伝統的な修業

森の中で一人静かにしゃがむ女性の背中
筆者がヒマラヤ山脈にあるガンジス川の源泉を目指して徒歩の巡礼を行っている時、同じように聖地巡礼を行っている聖者と出会いました。

その聖者は言葉を話さない修業を何年も行っているサイレント・サドゥ(沈黙の修行者)なのだと、他の修行僧が教えてくれました。

その方は、私が今まで出会ってきた修行僧の中でも最も穏やかで心地が良い方で、2日間一緒に山を登りました。

みなさんは、言葉を話さないで生活をすることを想像できますでしょうか。

生活の中で最低限の必要な周囲とのコミュニケーションができないと不便でもありますが、それ以上に楽しみとしての団らんも会話ができないのが辛い感じる方も多いでしょう。

自分の意思を伝えられないことは、想像するよりもずっと大きなストレスになりそうですね。

しかし、習慣的に行っているおしゃべりを制限してみると、ものの見方がガラッと変わるかもしまうこともあります。

伝統的なマウナで真実と向き合う

伝統的にヨガではおしゃべりはヨガの障害であると考えられています。

食べ過ぎ、過労、おしゃべり、戒律への執着、人々との交際、落ち着きのなさ、これら6つによりヨガは破壊される。(ハタヨガ・プラディーピカ1章14節)

教典の中でも、ヨガを失敗させる要因としておしゃべりが書かれています。

『バガヴァッド・ギーター』の中でも、マウナ(沈黙)は心のタパス(修行)の1つとして書かれています。

心のタパスとは、心の平和、温和、沈黙、自己抑制、心の浄化に努めることである。(バガヴァッド・ギーター17章16節)

ヨガの目的について考えてみましょう。

ヨガとは、自分の内側に向き合い、純粋な本来の自分の姿を知ることです。

しかし、周囲の人との会話を楽しんでいると、常に相手の腹の中を探り続けていたり、「私はこうありたい」という作り上げた自分のイメージに固執したりしてしまいます。

それは、内側に宿る本来の自分から1番遠いものです。

外の世界での富や名声に囚われないで本当の幸せが何かを見つけるためには、自分の心に耳を傾けないといけません。

自分自身の感覚や心を信じて、自分が本当に幸せだと感じることを見つける。そのための意識を外から内側に向けていくことがヨガであれば、沈黙の時間の大切さにも気が付いてくるかもしれません。

マウナは、沈黙を守ることで意識を自分の内側に向けていくための実践です。

どうしておしゃべりが好き?自分の中の承認欲求に気が付く

口に手を添えて話す人の口元とそれに耳を傾ける人の耳元
どうして話ができないとストレスに感じてしまうのでしょうか?

多くの場合「周囲からこう見られたい」という承認欲求が満たされないことが原因です。

日常での会話を思い出してみましょう。相手が考えていることを知るのと同時に、自分が思っている自分象を相手に認めてもらいたいという意思が働いていることに気が付きます。

上司と話した後で「今の伝え方はやる気がないと思われなかったかな?」と不安になったり、友達と話した後で「私は彼女のためを思って言ったのに、それがうまく伝わらなかった気がする」と、自分が思った通りの自分が相手に理解されていないか、長らく考え込んだりすることはありませんか?

それは全て「私はこういう人間である」「私のことを正確に理解されたい」という承認欲求によるものですね。

自分が思い描いた自分を認められたいという願望を達成するために、私たちは毎日長い時間思考を使っています。その結果、頭の中は沢山の推理や思い込みで埋められていきます。

“自分が普段どのようなことを考えているのか”に意識を向けてみましょう。

目の前の事実よりも、頭の中で作り上げた自分のイメージばかりに気が向いてしまっていると、実は真実から遠ざかってしまっているかもしれません。

日常でできるマウナを考える。スマホ見過ぎていない?

薄暗がりで口元に人差し指を当てる女性の口元
社会生活を営んでいる私たちには、完全に話さない沈黙は難しいでしょう。しかし、余計なおしゃべりをしないという努力は可能です。

気を付けてみると、自分たちがどれだけ無駄なおしゃべりをしているのかに気がついてきます。

ステップ1:ネガティブな発言をやめてみる

人の悪口や、ネガティブな発言をやめてみてはいかがでしょうか。

もしも、ネガティブな発言をしたい要求が生まれてきたら、どうしてそれを周囲に伝えたいのか自分の心と向き合ってみましょう。

  • 上司の愚痴を言いたい。
    ⇒自分と意見の合わない人の批判をすることで、自分の方が正しいと周囲に認めて欲しい。
  • 待ち合わせに遅れてきた恋人に文句を言いたい。
    ⇒待っている時間、愛されていないと感じて悲しかった私の気持ちを理解して欲しい。

上記の例の様に、他者を否定した発言をしようとする時でも、その裏には「私を理解して欲しい」という深層心理が隠れていることに気が付くかもしれません。

ステップ2:SNSの投稿をやめてみる

おしゃべりは声に出す会話だけではありません。テキストでも同じように、無駄なおしゃべりに時間と意識を向けてしまっています。

  • 話題のレストランに行った写真を投稿したい
    ⇒周囲に私のことを認識して欲しい。沢山「イイね!」を押して欲しい。
  • 友達の投稿にコメントを返したい
    ⇒自分が相手のことを思っていることを伝えたい。会えない人とでも繋がっていることを確認したい。

SNS は依存しやすく、習慣になっている人にとってSNS断ちはとても難しいことでしょう。

しかし、食事の写真をSNSに投稿することに囚われていると、目の前の食事の味に気が付けていないかもしれません。SNS での友達の投稿ばかり見ていると、目の前の子供と遊ぶことを忘れているかもしれません。

どんどんリアルな自分の人生から意識が遠ざかってしまっていますね。

ステップ3:自分について説明するのをやめてみる

難しいかもしれませんが、しばらく自分の感情を周囲に説明するのをやめてみるのも、自分を見直すときにはとても効果的です。

家庭の中でも、普段はパートナーに自分を認めてもらいたくて、ついつい自分のことばかり話していませんか?

自分の話をするのではなく、相手の話にできるだけ耳を傾けてみましょう。

会話をするときに「自分はこう思われたい」を考えるのをやめてみると、今まで相手の話を全く聞けていなかったことに気が付けるかもしれません。

上司や同僚と会話する時にも、今までは自分の考えを認めてもらうのに必死だったのに、相手の話を聞くことに集中すると、初めて相手の考えを理解できることがあるかもしれません。

沈黙によって本当の自分を認めてあげる

マウナの実践を始めると、最初は自分を理解してもらえないのでは?と不安に感じるでしょう。

しかし、しばらく続けていると、今までよりも自分を受け止められていることに気が付きます。

わざわざ「私は繊細」「私にはこだわりがある」と名札を付けなくても、その瞬間のリアルな自分を色眼鏡なしに感じることができます。

自分について考えることをやめた方が、自分を知ることができます。不思議ですね。

また、言語で物事を定義して制限を設けなくなることで、自分だけではなく周囲の人のことも理解できるようになってきます。

自分にできる範囲で、マウナに挑戦してみてはいかがでしょうか。

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