こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、イギリスの女流小説家ルーマー・ゴッデンの「人形の家」を取り上げたいと思います。
ゴッデンは児童文学から大人向けの小説まで幅広いジャンルの作品を描き、「黒水仙」や、「川」などは映画化もされております。
実力は十分というゴッデンが、人形という物を通じて、人生の真実そのものを描き出そうとした「人形の家」は、題名から想像できる可愛らしいだけの物語をはるかに超越しており、ラストまで読んだ人は、その感動のラストに涙し、心を揺さぶられずにいられません。
ただの可愛い人形の物語にとどまらなかったからこそ、「人形の家」は、優れた児童文学として名高いのですが、この「人形の家」とヨガとは、どのように結びつくのでしょうか?
早速、人形の家に遊びに行ってみましょう。
人形に真実を託した「人形の家」
「人形の家」に関して、カナダの有名な図書館員リリアン・スミスは、次のように述べています。
「この本はその表面にあらわれたところだけでも、大いに私たちを喜ばしてくれる。ミニチュアづくりの家庭生活、完璧なディティル、劇的なストーリーがそのなかに見られる。また、……なおいっそうその話のなかにはいっていって、ビクトリア朝時代の雰囲気をもち、ロンドンのなかに非常にうまくセットされた、1つの時代小説として、この物語を楽しむことができる。しかし……(それ以上に)この本は、作中に出てくる登場人物の人形をのりこえて、人間世界の根本問題にまでふれているのである。つまり、善と悪、正と邪、はかなく消えてゆく価値にたいして真実なるもの、などの問題、すべての人に重要な問題なのである」
(「人形の家 あとがき」)
作者自身、これを子ども向きのものとは考えておらず、「私は(人形という物を使って)自分が本物の小説を書けるかどうか、試してみたかったのです」と語っています。
子ども向けの愛らしさだけにとどまらない真実が底に流れているからこそ、「人形の家」は、名作として名高いのですね。
人形の家がほしい
舞台はロンドン。エミリーとシャーロットという小さな女の子達の人形達が主役です。
ことに、1番の主役は、“トチー・プランタガネット”という小さなオランダ人形でしょう。
トチーは非常に大昔のお人形で、エミリーとシャーロットのひいおばあさんと、ひいおばあさんの妹とが子どもの時に持っていたお人形だったのです。
とてもちっぽけなのですが、上質な木でできた人形だったために、そんなにも長持ちしているのでした。
「トチーはときどき、じぶんができたもとの、1本の木のことを考えてたのしむことがありました。その木の中をめぐっていた力と樹液のこと、春になれば芽をめぶかせ、夏には若葉をしげらせ、秋の木枯や冬の嵐のさなかにもその木をじっと立たせていたあの力と樹液のことを考えました。「その木の一部分、ほんの一部分だけど、わたしの中にあるんだわ」
トチーは、よくそう考えて、うれしくなったものでした」
(「人形の家」)
エミリーとシャーロットは、小さな瀬戸物人形とセルロイド人形を、トチーのお父さんとお母さんに見立てて、“プランタガネットさん“と”プランタガネット奥さん“と呼びました。
さらに、小さな布人形の“りんごちゃん”をトチーの弟に見立て、犬の人形“かがり”をトチーの飼い犬に見立てたのです。
こうして、プランタガネットさんと、プランタガネット奥さん、トチーと、りんごちゃんと犬のかがりは、女の子達からプランタガネット一家と呼ばれ、いつも家族ごっこで楽しく遊んでもらっているのでした。
トチー達は、なかなか幸せだったのですが、たった1つだけ悩みがありました。それは、家がないということです。
トチー達は、2つの靴の箱にゴタゴタと押し込められて、居心地悪く暮らしていたのでした。
もちろん、お店に行けば人形の家が売っているのですが、とても高いのです。エミリーとシャーロットのお父さんは、人形の家を買うことができません。
人形の家が欲しいなあと、プランタガネット一家は、ため息をついて思います。
願うということ
人形の家が欲しくても、人形達は声に出して子ども達に頼むことはできません。
人形達に出来ることは、願うことだけなのです。
「トチーはそのように願うことしかできないのでした。人形は何も話すことができません。でもしばしば人形の願いは口に出していうのと同じくらい強いのです。みなさんは、人形の願いを感じたことはありませんか?
(人形の家)」
トチー達の願いが通じたのか、ある日、エミリーとシャーロットの大おばさんの屋根裏部屋から、古い人形の家が見つかります。
その古い家が、エミリーとシャーロットの家に届けられることになったのです。
プランタガネット一家は大喜びをしますが、届いた人形の家はとても古いため、汚れきり、ボロボロになっていました。
こんな時でも人形達は、自分達で掃除をすることはできません。
やっぱりできることは、願うことだけなのです。
「どうしたらいいんだろう?ぼくたちに何ができるだろう?」とプランタガネットさんがいいました。
「泣言をいわないで。願って!」トチーはきびしくいいました。」
(人形の家)」
こうして、トチー達は一心に願い続けました。
すると、エミリーとシャーロットが人形の家を手入れしてくれ、トチー達が願った通りにすっかりキレイに整えてくれたのです。
トチー達は、キレイに整った人形の家で幸せなクリスマスを迎えることになりましたが、ここに邪魔が入ります。
“マーチペーン”という意地悪な人形が、エミリーとシャーロットへのクリスマスプレゼントとして届けられたのです。
マーチペーンは、トチーと同じくらい古い人形で、かつ値打ちものでした。
子ヤギの皮と瀬戸物でできており、髪の毛は本物の毛で出来ているし、美しい花嫁衣裳を着ているという具合。とても美しいのですが、大変うぬぼれが強くて、意地悪で、かつわがままときていました。
マーチペーンは、プランタガネット一家と仲良く人形の家に住むことが気に入らず、プランタガネット一家に意地悪なことばかり言って、大変感じ悪く振舞います。
すっかり不幸になってしまったプランタガネットさんはさけびます。
「ああ、ぼくたちはどうしたらいいんだろう、トチー?」
「願わなければいけないわ」トチーはあからさまにいいました。もうこれ以上、マーチペーンに礼儀を守る必要はありませんでした。「わたしたち、願わなければいけないわ。一刻も願いをやめてはいけないわ」
「わたしだって願うことはできるんだから」と、マーチペーンはいいました。「わたしは、あんたたちより重いのよ!」
「重いことは強いことにならないわ」
「わたしはとても強いことよ」
「ないわ、ないわ」と、トチーはいいました。「どんなものだって、上等の、まじりもののない木より強くはないわ」
(「人形の家」)
自分の芯を強く持つ
マーチペーンは意地悪な願いをいっぱい願い続け、エミリー達は、次々にマーチペーンの願った意地悪な願いを実現させていきます。
プランタガネット一家はピンチに追い込まれますが、そんな時でも、トチーは一向にひるみません。
「トチーは、木でできているありとあらゆる勇ましいもののことを考えました。たとえば、船のへさきのやりだしと船首像を。それは、波をかきわけて海の中を突き進んでいかなければならないものです。また、船のマスト、ライフル銃や猟銃の台じり、空中高く旗をひるがえす旗ざお、そしてじぶんのもとの木のことを。「わたしはこういうものと同じ材料でできているのだわ」とトチーは思いました」
(「人形の家」)
木でできたありとあらゆる勇ましいもののことを考えて、シャンとしたトチーは、どんなにピンチに追い込まれてもめげずに、一心不乱に強く願い続けます。
その結果、トチー達とマーチペーンの戦いがどのような展開を見せていったのかということは読んでいただいた時のお愉しみとして取っておくことにして、ここで注目すべき点は、どんなにピンチの時でも、トチーが少しのゆるぎもなく願い続けた強さだと思うのです。
どんなに苦しい時でもゆるぎなく願い続けるということは、相当に大変なことです。
普通は、弱気になってしまったり、もうダメだとあきらめてしまったりしてしまいがちなものですよね。
ですが、トチーは少しも揺らがずに、強く願い続けました。
トチーのようにあくまでも強く願い続けるためには、自分が本当に心の底から望んでいることを知っていることが大切でしょう。
自分というものと徹底的に向き合い、自分の芯というものをしっかり確立させていなければ、トチーのように、どんな時でも揺らぎなく願い続けるということはとてもできないと思うのです。
自分と徹底的に向き合い、自分というものを知って、自分の芯をしっかと確立させることこそがヨガの目的です。
次から次に襲い掛かる恐ろしいピンチの中で毅然として強く願い続けるトチーこそは、自分の芯をしっかと確立させている、人形の中のヨギーということができるでしょう。
トチーは、マーチペーンに立ち向かう中でこう言います。
「上等の木は、あらしの中でもたおれないもの」と、トチーはいいました。
(「人形の家」)
嵐の中でも倒れない上等な木さながらに、恐ろしいピンチの中でも凛としているトチーの強さは、「人形の家」を読み進めていく中で、強く胸に響きます。
「人形の家」をまだ読んだことがないという方はどうぞ、1度手に取って読んでみて下さい。
涙なしには読めない感動のラストをお約束致します。
『人形の家』2000年 ルーマー・ゴッデン著 瀬田貞二訳 岩波少年文庫