こんにちは!丘紫真璃です。
2023年もよろしくお願いいたします。
さて、今回はみなさんに「小さなスプーンおばさん」をご紹介したいと思います。
ノルウェーの作家が生み出したスプーンおばさんは、ヨーロッパ各地で親しまれ、古くから子ども達に読み継がれてきた、世界的に大人気のおばさんです。
日本でもアニメ化され、たくさんの子ども達がスプーンおばさんの冒険をワクワクと楽しみました。
そんなノルウェーのスプーンおばさんとヨガに、どんな関係があるのでしょう。
早速みなさんと探っていきたいと思います。
著者は、現代の吟遊詩人
「小さなスプーンおばさん」の作者は、ノルウェーの作家アルフ・プリョイセンです。プリョイセンは、1914年ノルウェーの農村で生まれました。
家が大変貧しかったため学校に行ったことはなかったそうですが、生まれながらの文才と空想力が備わっていて、詩や文章を書くのがとても上手だったと言います。
また、プリョイセンは歌も非常にうまく、お祭りの時などに自作の歌を歌って、みんなに喜ばれたということです。
1949年に発表した「電燈にとまったツグミ」という小説が大変評判となり、作家活動をはじめます。
また、作家活動の傍ら、歌手活動も行っていたらしく、自作の歌や民謡を歌って、北ヨーロッパを回りました。
物語を紡ぎ出したり、歌いながら各地を回ったりと、まるで吟遊詩人のようですね。
「スプーンおばさん」は、そんなノルウェーの農村育ちの吟遊詩人が書いた物語にふさわしく、のびのびとして、非常におおらかで愉快な物語です。
突然ティ―スプーンサイズになる
物語は次のようにはじまります。
ある晩、ひとりのおばさんが、ふつうのおばさんのするとおり、ベッドにはいってねむりました。つぎの朝も、ふつうのおばさんのするとおり、目をさましました。ところが、そのとき、おばさんは、ティ―スプーンくらいに小さくなっていたんです。これは、ふつうのおばさんのなることじゃありませんよね
(「小さなスプーンおばさん」)
このおばさんは、おそらくノルウェーの農家の主婦でしょう。
ただし、普通の主婦と違う点は、突然ティ―スプーンくらいに小さくなってしまったということにあるわけです。
それにしても、前ぶれもなく突然小さくなってしまったというのに、おばさんは、ちっともあわてません。落ち着いてこんな風に言うのです。
「なるほど。スプーンみたいに小さくなっちゃったんなら、それでうまくいくようにやらなきゃならないわね」
(「小さなスプーンおばさん」)
これがふつうのおばさんのセリフなのかと疑いたくなるくらい、素晴らしく落ち着いたセリフではありませんか!
ふつうのおばさん達はこんな風に落ち着いて言えるでしょうか。いいえ、言えないと思います。
おそらく、気が動転して、「どうして!?」とか、「病気なのかしら!?」とか、「まだ夢を見ているんじゃない!?」と騒ぎたくなるにちがいありません。
ところが、スプーンおばさんは「どうして!?」なんて、少しも考えません。あくまでも落ち着き払ったまま、こう独り言を言うだけです。
「なんとかして、ベッドから出なきゃいけないな」
(「小さなスプーンおばさん」)
そうして、おばさんはふとんごと床に落っこちて、少しもケガをせずにベッドから脱出します。
それから、自分はどうしたんだろうなんて凡人みたいに騒がずに、落ち着いて、掃除や洗濯、調理などのいつもの仕事にかかります。
ティ―スプーンくらい小さくなっちゃったおばさんが、どうやって掃除や洗濯や、料理なんかするのかと皆さんお思いでしょうが、大丈夫。
おばさんは、どうすればいいかちゃんと心得ているんです。
「さあ、こんどは、うちの中のそうじをするばんですが、こんなのはかんたんなものでした。まず、おばさんは、ネズミのあなのまえにすわって、チュウチュウなきますと、ネズミが出てきました。
「すみからすみまで、すっかりそうじしておくれ」と、おばさんはいいました。
「そうしないと、ネコにいいつけてやるから」
すると、ネズミは、すみからすみまで、すっかりそうじしました」
(「小さなスプーンおばさん」)
こうして、食器の洗い物はネコにさせ、ベッドの片づけは犬にさせるといった具合に、おばさんは、まわりの動物達を使いながら、実にユーモラスな方法で家事をこなしていきます。
おばさんはあわてない
スプーンおばさんは、ずっと小さいわけではありません。突然また、元の大きさにもどります。
突然元の大きさにもどったって、おばさんは落ち着いたものです。小さくなっても、大きくなっても落ち着いているんですから、すごいですよね。
「小さなスプーンおばさん」の物語は、突然小さくなってもあわてずに、どんな状況でもうまいこと乗り切っていくおばさんの様子がイキイキと、とても楽しく描かれているのです。
雪道で突然ティ―スプーンサイズになってしまった時には、雪かき車にピョーンと飛び乗って移動しますし、コケモモ摘みの最中に小さくなってしまった時には悪賢いキツネをだまして、コケモモがいっぱい入ったバケツを運ばせます。
どんな困ったハメに陥ってもあわてず騒がず、機転を利かせて問題を解決していくおばさんの活躍が楽しく、どんどんページをめくりたくなってしまうんです。
おばさんは、「どうして、私小さくなったの?早く大きくならなくちゃ」なんてことは言いません。
“ちゃんとした人間の大きさでいないといけない”という固定観念に縛られていないんです。
私達はこうでなきゃいけない、ああでなきゃいけないと、たくさんの固定観念に縛られて生きています。
だから、固定観念という縛りから自由になろうというのがヨガの目的の1つにあるのです。
そう考えた時、ちゃんとした人間の大きさでなきゃいけないという考えに縛られていないおばさんは、ヨギーの素質を十分に兼ね備えているといえるのではないでしょうか。
ちゃんとした人間の大きさでなきゃいけないという考えに縛られていないおばさんは、突然小さくなってしまっても、クヨクヨしません。
あわてず騒がずへこたれず、小さくなっても大きくなっても、心の波は常に穏やかさを保っています。
心の波を穏やかにすることこそヨガの大きな目的なのですから、たとえ、ティ―スプーンサイズになっても穏やかなままのおばさんは、ヨギーの理想であり、憧れともいえるでしょう。
一方、スプーンおばさんが突然小さくなってしまったのを見たスプーンおばさんの旦那さんは悲しがったり、腹を立てたりします。
そして、クヨクヨするおじさんと、へいちゃらなおばさんは、こんな会話をするのです。
「いやはや、なんともなさけないこった」
そういいながら、小ゆびで、おばさんのほっぺたをなでました。
「あたしにゃ、なさけないなんて思えないわ」とおばさんは言います。
「だが、わたしにゃ、はらのたつこった」と、おじさんはいいました。
「うちのおかみさんがティ―スプーンみたいにちっちゃくなったときけば、ここらじゅうのれんちゅうがおしかけてきて、わたしをわらいものにするからな」
「なにいってんの!」と、おばさんはいいました。
「そんなの、なんでもありゃしない。あたしを床におろしてよ。そしたら、あたしは、きものをきるわ。あたし、おみせにいって、マカロニを買わなきゃならないもの。」
(「小さなスプーンおばさん」)
クヨクヨして動揺するおじさんに比べて、おばさんはちっともいつものペースを崩しません。
全く素晴らしいではありませんか!
「小さなスプーンおばさん」は子ども向けの童話ですが、大人も十分楽しめます。
気苦労や心配が絶えないという大人の皆さんこそ、スプーンおばさんの物語を読んでみてはいかがでしょう。
きっと、どんな時でもへこたれないおばさんに励まされると思います!
アルフ・プリョイセン著 『小さなスプーンおばさん』訳 大塚雄三 学研(1966年)