こんにちは!丘紫真璃です。
今回は世界的に有名な「若草物語」を取り上げたいと思います。
読んだことはないという方もいらっしゃるかもしれませんが、「若草物語」が4姉妹の物語だということを知らないという方は、ほぼいらっしゃらないのではないでしょうか。
作者の半ば自伝的要素が盛り込まれた「若草物語」は、1868年に発表された時からアメリカで大人気となり、世界的に有名になりました。
今回は、世界的な名作「若草物語」とヨガとのつながりを探っていきたいと思います。
アメリカの家庭小説の代表する名作
「若草物語」は1868年、ルイーザ・メイ・オルコットによりアメリカで発表されました。
アメリカでは19世紀後半に、少女を主人公に家庭内を舞台にした小説が数々発表されるようになりますが、「若草物語」はこうした家庭小説の先駆けと言われています。
それまでの子ども向けの本というのは教訓的な寓話などが主だったようで、「若草物語」のように、等身大の少女達が泣いたり笑ったり失敗したりするような物語はなかったと言われています。
まるで読者の友達のようなイキイキとしたリアルな少女達が、本のページの中で躍動する「若草物語」は当時のアメリカの読者には新鮮で、たちまち大人気を博しました。
今でもアメリカの少女達のほとんど全てが「若草物語」を読んでおり、アメリカの女性達に大きな影響を与えました。
日本でも愛され続け、その輝きは今なお衰えることを知りません。
永遠の名作の中の1冊と言える物語であることは、まず間違いないでしょう。
父ブロンソンの思想
「若草物語」は、半ば自伝的な作品で、作者の家族をモデルにしたと言われています。4姉妹は自分の姉妹をモデルにしており、作家志望の次女ジョーは作者自身がモデルです。
そんな「若草物語」の中で印象的なエピソードは何かと聞かれたら、皆さんいろんな事をおっしゃると思いますが、”エーミーの塩漬けライム”のエピソードをあげる方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
4姉妹の末娘エーミーの学校では、ライムが大流行しています。
「ね、こうなの。みんなだれだってライムを買うの、けちんぼだと思われるのがいやなら買わなくっちゃならないのよ。今はもうライムが大流行なの。授業中にも机のかげでしゃぶってるし、お休み時間には鉛筆だの、ビーズの指輪だの、紙人形だの、それからいろんな物と換えっこするのよ。だれか好きなお友達があると、その子にライムを上げるのよ。しゃくにさわる人だと目の前で食べてみせて1口もしゃぶらせないの」
(「若草物語」)
エーミーは家が貧しかったためになかなかライムを買って学校に持っていくことができずに悔しい思いをしていましたが、とうとうある日、長女メグにお小遣いをもらい、ライムを買って学校に持っていくことができました。
ところが、大流行していたライムを、先生は学校に持ってくることを禁止しており、ライムを持ってきたものはムチで打つと宣言していました。
エーミーは、ライムを持ってきたことが先生にバレてしまって、ムチ打たれます。
家に帰ったエーミーは、家族に涙ながらに学校での出来事をぶちまけ、あんな学校には2度と行きたくないと激しい口調で言いきります。
そんなエーミーに、お母さまはこう答えるのです。
「そうね、あなたは学校に行かなくてもようござんす。その代わり、べスといっしょに毎晩少しずつ勉強してくださいよ(略)お母さまは体刑というものには賛成できません」
(「若草物語」)
体罰に反対するというエピソードは、「若草物語」のシリーズ全編を通じて繰り返し出てきます。
“子どもは厳しく罰することでしつける”という考え方が当たり前にあった当時としては、珍しい考え方だったのではないでしょうか。
この考え方は、オルコットの父ブロンソンの影響を受けたものでした。
ブロンソンは、超絶主義を理想としていた哲学者だったのです。
超絶主義とは1836年にエマーソンが打ち出した思想で、個人の絶対的尊厳を重視するものでした。
人間は社会という制度にとらわれていることで純粋さを失っており、社会という制度から自由になってこそ、人間は純粋さを取り戻し、最高の状態になることができるという考え方を提唱したのです。
そんな超絶主義を理想としていたオルコットの父ブロンソンは、娘達の教育にその思想を生かしました。
子どももまた個人であるのだから、その尊厳を最大限に尊重しなければならないと考えたブロンソンは、子どもを罰してしつけるのではなく、子どもの能力を伸ばしていくという方法で教育を行ったのです。
学校にはほとんど行かず、父から家で教育を受けていたというオルコットは、父からの教育について次のように語っています。
父は、ストラスブルグのガチョウ(フォラグラのガチョウ)のように消化できないほど詰め込むのではなく、花が咲くように子どもの本質を引き出す、賢明な方法で教えてくれたのだった。
(Wikipedia ルイーザ・メイ・オルコット)
「若草物語」全体に、父の教育論が色濃く繁栄されていますが、社会という制度にとらわれずに個人というものを最大限に重視するという考え方は、ヨガにも通じるのではないでしょうか。
ヨガの大きな目的は、縛りからの解放です。
社会性という縛りから自由になるという考え方は、ヨガと深くつながる考え方だといえるでしょう。
そういった意味で、「若草物語」はヨガと深くつながっていると、私はそう思います。
母アッバの教え
「若草物語」を語る上でもう1つ、絶対に欠かせないのが母の存在です。
オルコットによると、オルコットの母アッバは、「若草物語」に登場する4姉妹の母マーチ夫人そのものだったそうです。
マーチ夫人については、「若草物語」の中で次のように描かれています。
それは折あらば人の役にたちたいというようなやさしい様子のあふれているみるからに気持ちのよい婦人であった。このひとはとりたてて美しいというほどではないが、しかし子供にとっては母親はみな美しいものなので、この娘たちも、灰色の外套と流行おくれのボンネットに包まれているこの婦人は、この世で1番りっぱな婦人なのだと思っていた。
(「若草物語」)
オルコットの母アッバは慈善事業に取り組んでいる女性で、ボストンのスラム街では今でいうソーシャルワーカーのような活動もしていたような人でした。
この折あらば人の役にたちたいという母の影響は、「若草物語」を包み込むもう1つの重要な要素と言えるでしょう。
「若草物語」の冒頭にはクリスマスに自分達が食べようとしていた朝ご飯を、近所の貧しいフンメルさんという家族にプレゼントするというシーンが出てきますし、フンメルさん一家を支援する活動の中で、3女のベスが猩紅熱にかかったというエピソードも出てきます。
オルコットの母の慈善事業精神は、キリスト教の隣人愛の精神から来ているのだろうと思いますが、これはまたヨガにも通じるものですよね。
ヨガでは、全ての人の中に神が宿っていると考えます。誰かのために尽くすということは、神のために尽くしていることと同じことなのです。
だから、誰かのために尽くすようにということがヨガの教えの中にもあるのです。
こういった視点から見ても、「若草物語」とヨガは深くつながっていますよね。
家族への強烈な愛
オルコットの父は超絶主義という理想を掲げる賢明な教育者ではありましたが、一方で経済力はまるで皆無で、オルコット一家の生活は常に苦しいものでした。
そんな家族を助けるために、オルコットは10代の頃から働きに出て、家計を支えました。
働きながら原稿を書くうちに、作家として認められるようになってきたオルコットは、父を喜ばせるために「若草物語」を書き、姉のために続編を、さらに続編を望む読者のために体調を崩してまで、原稿を書き続けました。
家族や読者のために精魂尽き果てるまで原稿を書いたオルコットの姿勢こそは、ヨギーを体現したものであったのではないかと、私はそう思うのです。
父の思想、母の教え、そしてオルコットの家族への強烈な愛。そのどれが欠けても、世界的な名作である「若草物語」は生まれませんでした。
もちろん、そこに登場人物の少女達のリアルな性格描写や、イキイキとした魅力的なエピソード、ユーモアあふれる文体があったからこそ、世界中の人々から愛される名作になったのです。
「若草物語」の中に見られる体罰に反対する教育方針や、女性も働いて自立すべきという思想。
さらに、育児は母親だけでなく、父親も参加すべきだという考え方まで出てきますが、どれも、現代の日本でまさに課題になっている問題だと言えるのではないでしょうか。
「若草物語」は古臭くて教訓的な物語というイメージしかないという方も、今もう1度手に取って読んでみて下さい。
新しい再発見ができるかもしれませんよ。
Wikipedia ルイーザ・メイ・オルコット
ルイーザ・メイ・オルコット著 『若草物語(上)』 訳 吉田勝江 角川文庫(昭和61年)
ルイーザ・メイ・オルコット著 『第四若草物語』 訳 吉田勝江 角川文庫(昭和38年)