12人のインドの神様のイラスト

ヨガは多神教じゃないの?ヨガ哲学に学ぶ神様

ヨガのスタジオに行くと象の姿をしたガネーシャ神などの像が飾ってあることがありますよね。インドは多神教であり、何百もの神様がいると考えられています。

しかし一方で、インドには梵我一如(ぼんがいちにょ)という言葉もあり、全ては1つであるとも説きます。

では、沢山いる神様とはいったい何なのか。古典教典から考えてみましょう。

ヨガでもおなじみのインドの神様たち

実はヨガもインドの神様たちと密接に関係しています。ヨガと関わりのある神様をご紹介します。

シヴァ神

大地に座るシヴァ神
昔からシヴァ神はヨガや瞑想の神様として知られています。教典『ハタヨガ・プラディーピカ』などには、太始のグル(師)と書かれています。

インドに来ると、シヴァ神と同じようにドレッドヘアで全身に灰を塗り、額に第3三の眼を描き、三又の槍をもったサドゥと呼ばれる修行僧が沢山います。

パールバティ女神(シャクティ)

シヴァ神とパールバティ女神とガネーシャ神
パールバティ女神はシヴァ神の妻です。

太始のヨガ・グル(師)であるシヴァ神は、自分の妻であるパールバティ女神にヨガの教えを説きました。

そして、パールバティ女神によって、人間である古代の聖者(リシ)たちにヨガが伝えられ、現代まで引き継がれていると言われます。

パールバティ女神の別名であるシャクティは、体内にあるクンダリニー(潜在能力)でもあります。

胴体の底辺、ムーラダーラ・チャクラの位置に眠るクンダリニーはヨガによって目を覚まし、頭頂にあるシヴァ神の座まで上ることで、ヨガ実践者は超意識と繋がることができます。

ガネーシャ神

ガネーシャ神
ガネーシャ神はシヴァ神とパールバティ女神の息子です。象の頭部とふくよかな人間の胴体をもちます。

ガネーシャ神は学問と豊かさの神様です。インドでは商店の入り口には必ずガネーシャ神が祀られており、商売繁盛の神様としても知られます。

また、インドのあらゆるプージャ(祈りの儀式)では、必ずガネーシャ神の賛歌から始められます。

学問の神であるガネーシャ神は、ヨガの経典『バガヴァッド・ギーター』を文字に書き起こした神様としても知られています。

クリシュナ神

クリシュナ神
愛の神様として知られるクリシュナ神は、教典バガヴァッド・ギーターに登場し、人々にヨガの教えを説きました。

バガヴァッド・ギーターの中ではカルマ・ヨガ(行為のヨガ)、ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)、ラージャ・ヨガ(瞑想)、バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)が書かれています。

また、世界を正しく維持するためのダルマ(法・秩序)について解き明かします。

全ての神様は実は1つの真実(ブラフマン)

ヨガに関わりの深い神様だけでも沢山いますが、一方でヨガの哲学では梵我一如(ぼんがいちにょ)という概念があります。

梵我一如とは、世界の全ては1つのブラフマン(梵)から生まれたという説で、哲学の用語では一元論と呼びます。

世界は1つのブラフマンから生まれたという一元論と、多神教であるインドの宗教は矛盾しているようにみえますね。

これを解消してくれる答えは、古代インドの経典である『ウパニシャッド(奥義書)』にあります。

ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドは、数多いウパニシャッドの中でも最も古いものの1つで、現代のインド哲学の土台になっているものの1つです。

その中の1文を紹介します。

『われは造化そのものなのだ。我がこれら万物を産み出したのだ。』と自覚した。俗人が『あの神を祀れ、この神を祀れ』などというときの神々は、すべてかれ自我の造化である。何故ならば彼は神々のすべてであるから。(ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド1.4.5-6)

インドで神様とは、人間とは違う超越的な力を持った存在です。

インドでは人が祈る数だけ神が存在します。

例えば、古代インドの代表的な神の1人にルドラ神がいます。ルドラ神は暴風を司る神様です。

ルドラは洪水などをもたらし災害となる場合もありますが、雨をもたらし,豊穣と人々の健康・安寧をもたらす大切な自然の力です。

人は自然の大きな力の1つである暴風雨を、神ルドラとして祀ります。

このように、様々な自然界の現象に対して個別の神様の名前を与えて呼びますが、真実を知る人にとっては、多数存在する神様たちもたった1つのブラフマン(宇宙意識)なのだとウパニシャッドは説きます。

私たちもヨガによって真実と一体となれる

安楽座で座る女性のシルエットと宇宙と光が融合するイメージイラスト
さらにウパニシャッドは、超自然的な力を持った神様も、人間も、同じように真実と一体になれると説きます。

「ブラフマン(梵)は自己のことを『我は梵(ブラフマン)なり』と知った。神々の中でこれ(梵)に目覚めた人は全てこれになった。聖仙(リシ)たちについても、人間たちについても同様であった。
『この神々と我とは別のもの』などと思っている者があれば、それは真実のことを知らないのである。
(ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド1.4.10)」

物質世界においては、生まれによって能力などの違いがあります。

神様と人間ではできることが違うのです。

人間の中でも生まれた環境、性別、親の職業や、身体的な能力の違いによって、その人が生きる人生は大きく左右されます。

しかしそれは、物質世界に意識が囚われてしまった場合です。

人がヨガを行い物質的な欲望と執着を手放していくと、私たちが考えている物質的な制限は思い込みによるものなのだという真実に到達することができます。

ヨガを行うことで少しずつ物質的な束縛を手放していくと、神的な能力を発揮できるようになります。

ヨガ・スートラにも、サマディ(三昧)に到達することができる超自然能力についての記述があります。

それは、「自分と神は別物」だという思い込みを手放すことができたからです。

しかし、そのような超自然能力もまだ本来の悟りからは遠いものです。

ヨガによって今までよりも優れた能力を発揮できるようになっても、そこに執着せず、ヨガの道を進むと、最後にたった1つの真実(サット)に気が付くことができます。

それは、『我は梵(ブラフマン)なり』ということです。

真実を正しく知った人にとっては、神様、人間、他の動物、あらゆる生命が平等です。

全てはたった1つの真実ブラフマン(宇宙意識)であり、輝かしい存在であることに気が付くことができます。

全ては1つであるという気づきを体感しよう

今回は、インドの宗教的な神様とは何かをウパニシャッドという古代の経典から考えてみました。

様々な姿をした神様を信仰するインドで、実はすべての神様はたった1つのブラフマンであるという考えは、とてもユニークで興味深いですね。

ヨガでは、「全ては1つである」という考え方をとても大切にします。

特に教典バガヴァッド・ギーターは、あらゆる存在は平等であることを何度も解き、「ヨガは平等の境地」だと定義します。

ヨガを行っていると自分に対しての強すぎる固執が弱まってきます。

自分と周囲の人とを平等に愛することができるようになると、他者との衝突もなくなり、快適に過ごせるようになります。

少しずつ境界が弱まってくると、神様という遠い存在も、身近な動物にも繋がりや一体感や愛しさを感じます。

その状態はとても穏やかで幸福です。

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