こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、アーノルド・ローベルの絵本「ふたりはいつも」を取り上げたいと思います。
「がまくんとかえるくん」シリーズをご存じですか?全4冊のシリーズで、国語の教科書にも掲載されています。
教科書で読んだ覚えがある方も、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
今回は、そんな「がまくんとかえるくん」シリーズの第3作目「ふたりはいつも」の中から「おちば」を取り上げたいと思います。
それでは、「がまくんとかえるくん」シリーズとヨガのつながりを探していきましょう!
「がまくんとかえるくん」の生みの親アーノルド・ローベル
作者のアーノルド・ローベルは1933年生まれのアメリカの絵本作家です。
ニューヨークで病気がちの寂しい少年時代を過ごしたローベルは、高校卒業後ブルックリンの「プラット・インスティテュート」に入学。そこで本のイラストレーションの面白さを知ります。
1955年に結婚した後も、ニューヨークのブルックリンで絵本の制作を続けます。
1973年には、「がまくんとかえるくん」シリーズの2作目「ふたりはいっしょ」でニューベリー賞を受賞。1981年には別の作品でコルデコット賞を受賞するなど、活躍を見せました。
がまくんとかえるくんの落ち葉掃きの物語
がまくんとかえるくんは親友です。
2人はそれぞれ自分の家を持っていますが、近所に住んでいて、しょっちゅう行き来しています。
今回取り上げる「おちば」は、そんな2人の10月の物語。冒頭はこう始まります。
10がつ。
きのはは みんな ちってしまい、
じめんに つもりました。
「ぼく がまくんちへ いこうっと。
にわの しばふの おちばを
かきあつめて あげよう。
がまくん おどろくだろうなあ」
と、かえるくんが いいました。
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
かえるくんが物置からくまでを取り出して、がまくんの家へと向かう頃、がまくんも窓から顔をだして、こう言います。
「どこもかも おちばだらけだよ」
と、がまくんは いって、
ものいれから くまでを とりだしました。
「ぼく かえるくんちへ いこう。
おちばを かきあつめてやるんだ。
かえるくん とても よろこぶだろうなあ」
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
がまくんも、くまでを持って、かえる君の家へと向かいます。
ところが2人は別々の道を行ったので、行き違いになります。
がまくんの家に到着したかえる君は、がまくんが家にいないことを確かめると、うれしそうにこう言います。
「よおし。がまくん いないぞ。
だれが おちばかきしたか ぜったいに わからないよ」
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
がまくんも、かえる君の家に到着すると、かえる君が家にいないことを確かめます。
そして、とてもうれしそうに言います。
「よおし。かえるくん いないぞ。
だれが おちばかきしたか ぜったいに あてられないよ」
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
2人は、めいめいお互いの庭で一心に働きます。落ち葉をかき集めて大きな山にしたのです。
それから、2人は満足して、また別々の道から自宅へ帰ります。
ところが、次のページをめくるとこう続くのです。
かぜです。
じめんを ふきまくりました。
かえるくんの つくった はっぱの やまは かぜに まい、
ちりぢりになってしまいました。
がまくんの つくった はっぱの やまは かぜに まい、
ちりぢりになってしまいました。
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
自宅に帰った2人が見つけたのは、落ち葉だらけの庭でした。
2人がやったことは無意味だったのか?
かえるくんとがまくんが、お互いの庭で一生懸命働いたことは何の役にも立ちませんでした。
だって、せっかく作った落ち葉の山は風で散り散りになってしまったんですから。
しかも、お互いにこっそりとやったことでしたから、感謝されることもありませんし、お礼を言われることもありません。無意味とはまさにこういうことを言うのでしょう。
でも、本当に、2人がやったことは何の役にも立たない無意味なことだったのでしょうか?
その答えは、自宅に帰った後の2人の様子を見ればわかります。
自宅に帰ったかえるくんは、落ち葉だらけの庭を見回して、こう言います。
うちに かえった かえるくんは いいました。
「ぼくんちの しばふ はっぱだらけだなあ。
あしたは ぼくんちの おちばかきを するよ。
それにしても がまくん びっくりしているだろうなあ!」
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
自宅に帰ったがまくんも、落ち葉だらけの庭を見回して、同じことを言います。
うちに かえった がまくんは いいました。
「ぼくんちの はっぱの ちらかった にわ。
あしたは なんとかして すっかり きれいに するよ。
それにしても きっと かえるくん びっくりしているだろうなあ!」
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
そして、ラストはこうしめくくられるのです。
あかりを けして それぞれが おふとんに はいったとき
かえるくんも がまくんも しあわせでした。
(『ふたりはいつも』より「おちば」)
相手のためが自分の幸せ
結果的には2人の行ったことは何の役にも立たなかったかもしれません。でも、2人はおふとんに入った時に、とても幸せになりました。
この幸せな気持ちになったということが何よりも大事なことではないでしょうか?
がまくんも、かえるくんも、相手が喜ぶだろうなあとか、ビックリするだろうなあと考えながら落ち葉を掃くことが、とても楽しかったのです。
相手が嬉しくなるだろうと思ったら、自分まで嬉しくなってしまったのです。相手のために落ち葉掃きをすることが、とても幸せだったのです。
これはもう、パタンジャリも大きくうなずくくらい、ヨギー的な行動だと言えるのではないでしょうか?
自分のためを思って行動するよりも、相手のためを思って行動しろという教えは、『ヨガ・スートラ』の至るところに書いてありますよね。
相手のためを思うということは、神のためを思うということだからです。
この世界の全ての人、全ての物、全ての生きとし生けるものの中には神が宿っていると、ヨガでは考えているのですから。
神にすべてを捧げることによって、サマーディは達成される(『ヨガ・スートラ』第2章45節)
『ヨガ・スートラ』にはこう書いてありますが、神のため…つまり相手のためを思って行動することが、結局は自分の幸せにつながるんだということを、パタンジャリは言っているわけですよね。
このヨガの最も大事な教えを、ローベルは、「おちば」の話の中で見事に表現してみせました。
そこには説教くささは少しもありませんし、難しいことは少しもありません。
優しい言葉と温かい絵で、小さい子から大人に至るまで、世界中のだれもがよくわかるように描かれているのです。
「おちば」だけではありません。「がまくんとかえるくん」シリーズ全てをつらぬいているのは、相手を思う友愛です。
相手が喜んでくれるということが、自分の喜びにつながるんだということを、がまくんとかえるくんは、何度でも教えてくれます。
だからこそ、世界中に愛される名作となったのではないでしょうか?
小さなお子さんがいらっしゃる方は、お子さんを膝に乗せて、一緒に「がまくんとかえるくん」シリーズを楽しんでください。
そして、真の名作にどれも言えるように、「がまくんとかえるくん」もまた、大人が読んでこそ、その価値観がわかるすばらしさがあります。
ぜひ、お子さんがいらっしゃらない大人の方も、「がまくんとかえるくん」シリーズを手に取ってみて下さい。
胸にしみいる温かさに包まれることをお約束致します。
アーノルド・ローベル著 三木卓訳『ふたりはいつも』文化出版局(1977年)
スワミ・サッチダーナンダ著 伊藤久子訳『インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガスートラ』めるくまーる(1989年)