皆さん、こんにちは!丘紫真璃です。
今回は『治りませんように』というドキュメンタリー小説を取り上げたいと思います。
べてるの家という言葉に聞き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
北海道の南、襟裳岬に近い浦賀町にあるべてるの家は、精神障害を患う人々の共同住居として1984年に設立されました。現在は、100人から150人ほどのメンバーが生活介護や、介護や福祉事業、NPO やショップ運営などをしながら共同生活を送っています。
今回取り上げる『治りませんように』は、そんなべてるの家が舞台になっています。
ジャーナリストの斎藤道雄さんが、べてるの家の中に身を置いて書き上げた本なのですが、『治りませんように』という衝撃的な題名に、私もまた度肝を抜かれてしまいました。
治りませんようにとはいったいどういうことなんだろう?病気を治したくない人なんて、この世の中にいるんだろうか?
他のたくさんの読者の方々と同じように、私もまた大きく首をひねりながら、この本を読み進めていくうちに、みるみるその世界にハマりこんでしまいました。
治りませんようにとはいったいどういう意味なんでしょう。そして、べてるの家とヨガは、どのようにつながっているのでしょう。
皆さんと共に考えていきたいと思います。
神の家
北海道の浦賀町に当時あった浦賀赤十字病院。
そこの精神科を退院した患者達が1984年に数名で、町内で使われていなかった古い教会に住み着き、共同生活を送るようになりました。
それが、「べてるの家」の始まりと言われています。「べてる」は、旧約聖書で「神の家」という意味なのだそうです。
今では100人から150人ほどがメンバーだというべてるの家には、統合失調症やアルコール依存症など、様々な病気や障害、生きづらさを持った人々が集い、患者や当事者はもちろんのこと、スタッフも医療者も支援者も、自分が望めばメンバーになれるという開かれた集まりなのだそうです。
そのべてるのメンバー達は、日高昆布の加工販売やごみ処理作業、介護事業、作業所や福祉ショップ、社会福祉法人や NPO など全貌把握するのが難しいほど様々な活動を展開し、浦賀の町になくてはならない存在となっています。
そんなべてるのベースにあるのは苦労の多い当たり前の人間としての姿を取り戻すことであると書かれています。
「彼らが見据えようとしたのは、日々山のような問題をかかえ、際限のないぶつかりあいと話しあいをくり返すなかで実感される、苦労の多い当たり前の人間としての当事者のあり方だった。精神障害者である前に、まず人間であろうとした当事者性だったのである。彼らは人間が人間であるがゆえにかかえる問題を精神障害に代弁させることなく、自らに引き受けようとしたのであり、問題だらけであることをやめようとしなかったがために、そこに浮かび上がる人間の姿をたいせつにしようとしたのである」
(『治りませんように』)
これは一体どういうことなのでしょう。べてるの家のメンバーである清水里香さんを例に、くわしく見ていきましょう。
わたしはわたし
清水里香さんが浦賀に来たのは、30歳の時。それまでの7年間、彼女は病気に苦しんで、栃木県の自宅に引きこもっていました。
病気の始まりは会社でのささいな事件だったといいます。
誰かが自分の悪口を言っているのではないかと思うようになってしまい、ある日突然、頭の中で自分の考えていることがそのまま他人に伝わってしまうという思いに捕われて、パニックになってしまいました。
自分の考えが知られてしまうサトラレだけではなく、四六時中、どこにいても誰かに見張られているという感覚に苦しめられ、さらには自分の悪口の声が絶えず聞こえてくるという幻聴にまで悩まされ、家から1歩も出られなくなってしまったのです。
サトラレや幻聴に7年間悩み続けて引きこもった挙句、清水さんは、自分を知る全ての人から逃れるために浦賀まで逃げ延びてきたのでした。
その浦賀で、当時の浦賀赤十字病院の精神科にいた川村先生に「あなたは実にいい苦労をしてきた」とほめられます。そして、人と交わることがあなたを助けることになる、とアドバイスをもらいます。
べてるでは「3度の飯よりミーティング」と言われるくらい、ミーティングが盛んに行われます。
精神障害を患う様々なメンバーが集い、それぞれの悩みを語り合って弱さの情報開示をし、自分の抱える問題をメンバー全員に投げかけ、問題解決をするためにメンバー全員で議論を交わして、話し合いをするのです
それは、自分1人で悩みを抱えて考え込んでいると、悩みの沼の中に沈み込んでしまうので、自分の悩みを仲間に投げかけて、自分の悩みを客観視しようという試みでした。
自分の悩みを客観視することで、自分が悩んでいた事柄を新たな視点でもう1度捉え直す。それが、ミーティングの狙いだったのです。
清水さんはそうしたミーティングに参加し、自らの苦しみを語っていくうちに、引きこもり人生からいつの間にか抜け出していきました。
そうして、みんなと話し合いができる自分がしみじみ幸せだと思い、病気であっても世の中に出られたのが嬉しいと感じた彼女は、著者のインタビューに対し、このように答えています。
「わたしがたとえば分裂病だとしても、そうでなくても、わたしがいまのわたしであることになんの変わりもなくて、そのことに対して違和感がないので、よかったなと思ってる」
(『治りませんように』)
この病気にかかった自分もまた自分であり、病気もひっくるめて全部自分である、と病気を受け入れた清水さんは、その後病状が安定し、べてるの家の重要なスタッフとして活躍の場を広げていきました。
しかし、清水さんの病気はこれだけでは終わらなかったのです。
病気が財産
当事者同士のミーティングを重ね、病気であることをひっくるめて自分であると悟ったはずの清水さんは、症状が落ち着いて妄想や幻聴が薄れてくると、「自分は本当に障がい者なんだろうか?」と疑うようになったと言います。
「もしかしたらふつうの健常者とおなじような生活を送れるんじゃないかなあって思ってたんですね」
(『治りませんように』)
そう語った清水さんは、このままいけば自分は健常者のようになれるかもしれないと思うようになり、薬をやめる第1段階として、まずは薬を変えてみたのでした。
リスパダールという薬を、エビリファイという薬に変更したのです。
リスパダールは鋭敏な感覚をまどろむような感覚にさせる薬でしたが、エビリファイは物事がハッキリ見えるようになる薬でした。
物事がハッキリ見えることで頭がクリアになったような気がした清水さんですが、薬を飲んで1か月もしてくると、妄想や幻聴もまたハッキリ見えるようになってしまいます。
その結果、彼女は妄想や幻聴に捉えられてしまい、再び病気の世界に引き戻されてしまいました。
清水さんは”自分は健常者にはなれないのだ”という現実を突きつけられてしまったのです。
けれども、悪化した病気の苦しみを経て、清水さんは新たな境地に達しました。
弱い自分、みじめな自分、ダメな自分を覆い隠して、まるで健常者かのように生きようとすればするほど、病気は激しく襲ってくる。
だとすれば、弱い自分も、みじめな自分も、ダメな自分も全てさらけだして、自分が感じる喜びも、痛みも見ないふりをするのではなく、しっかり見つめて、自分の感覚を大事にしながら生きていった方がいいのかもしれない…。
そう考えるようになった清水さんは、著者のインタビューにこう答えます。
「病気があたしの唯一の財産だなあっていうような感じですね。ほかになんにも特別なものを持ってないけど、病気を持ってるってことがあたしのやっぱり生きる糧ですね」
(『治りませんように』)
そしてさらに清水さんはこう続けます。
「子どもを育ててたら、子どもを育てたことにやりがいをもってると思うし、仕事をしてれば仕事をしていることにやりがいをもってるのと、変わらないと思うんだよね。ふつうの人が、ふつうにやりがいを持つことと、あたしが病気のことに苦労してることは、きっとそんなには変わらない。ただ、あたしはあたしに与えられた環境と状況に順応してるだけで。ハハハ」
(『治りませんように』)
清水さんは、病気を天から降ってきた災難と捉えるのはやめ、病気と共にどのようによりよく生きるか研究してみようと決めたのです。
縛られない生き方
病気にかかったら誰だって治したいと思います。病気を治したい、元気になりたいと思うのがごく当たり前の感情です。
でも、決して治ることのない難病というものがあります。
統合失調症という病は治ることがありません。症状が落ち着くことはあっても一生涯、治るということはないのです。
それでも治りたいと苦しむのが人として当たり前の姿だと思いますが、べてるの家で何度も、何十回も、何百回も仲間とミーティングを重ね、自分の苦しみや痛みを、自分の言葉で語っていくうちに、清水さんはその苦しみから脱出するすべを会得しました。
病気は財産とまで言い切った清水さんのくだりを読んだ時、私は清水さんは縛られない生き方を自分のものにしたのだと感動しました。
健常者のようにならなくていいし、しっかりしなくてもいいし、ダメで弱くてみじめな自分でもいいし、病気の自分でも全然かまわない。
病気は治さなくてはならないという縛りからの解放、その解放こそが、清水さんに「病気は唯一の財産」とまで言わせたのです。
ヨガスートラに、心をコントロールすることこそがヨガの全ての基礎であると書いてあります。
アプローチの仕方によって、世界は天国にすることも、地獄にすることもできる。だから、心をコントロールせよ。
心をコントロールした時、この世の何者もあなたを縛ることができない。と。
病気は治さなくてはならないものだという強い縛りから苦しみもがきながら抜け出していった清水さんは、ヨギーが求める姿そのものだと思います。
そして、清水さんが治さなくてもいいという縛りから解放された影には、治さない医者を名乗る精神科医の川村先生の姿があったのですが…
ここではとても書ききれませんので、次回べてるシリーズ第2弾として、治さない医者川村先生のことを語らせていただきたいと思います。
斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』みすず書房(2010年)