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ヨガ哲学のダルマという言葉を聞いたことがありますか?
私たちは人生には、個々に「行うべきこと」があると考えるのがダルマの考えです。
人生は私たち1人ずつに与えられたものですが、人間は社会生活の中で生きているので、社会秩序や道徳に気を付ける必要もあります。社会秩序との向き合い方をどの様にとらえたらいいのか考えてみましょう。
宇宙の流れから生まれたダルマという言葉について
教典『バガヴァッド・ギーター』の中では「行うべき行為」「職務」をダルマと呼び、個人に与えられたダルマを遂行することが人生で最も大切だと教えてくれます。
不完全であっても自分自身の義務(ダルマ)を遂行することは、他者のよく遂行された義務よりも優れている。たとえ自身の義務によって死ぬことになっても幸福なことだ。他者の義務を行うことは危険である。(バガヴァッド・ギーター3章35節)
このダルマには様々な意味があります。
- Law:法
- Usage :慣習
- Rules of conduct:行動規範
- Duty:義務
- Righteousness:正義
- Religion:宗教
- Morality:道徳
バガヴァッド・ギーターの中では「自身に与えられた職務」として書かれているダルマですが、単に「義務」として理解するだけでは不十分です。
ダルマの考えがどのように生まれたのかをみてみましょう。
大宇宙の流れとダルマ
ダルマという言葉が初めて登場したのは『リグ・ヴェーダ』という古代聖典です。
リグ・ヴェーダはインドで最も古い聖典で、神々の言葉をバラモン(司祭)が受け取って書き残したものだと言われています。
リグ・ヴェーダの中でダルマは「宇宙の秩序」という意味合いで使われています。
古代の人たちは、自然界の全てのものが一定の秩序をもって動いていることに気が付きました。
例えば太陽は毎日同じ方角から決まった時間に現れ、決められた方角に移動して沈みます。このような大自然の中の全てには決められたポジションがあり、定められた役割を全うします。
そんな宇宙の流れに気が付いた古代の人は感動を覚えたのでしょう。
万物が持つ潜在的な位置や役割、属性、行動様式、はダルマと呼ばれるようになりました。
また、個々の自然現象に対して古代の人たちは固有の神々の名前を与えました。インドが多神教であるのは、自然界に様々な力があり、個々の働きが組み合わさって大宇宙全体の調和がとれているからです。
それぞれの存在が保持している固有のダルマをスヴァ・ダルマと呼びます。
のちに生まれたバガヴァッド・ギーターの中では、私たち1人ずつに与えられた役割をスヴァ・ダルマと呼びますが、それは人間だけに与えられたものではなく、太陽や月といった大宇宙に存在する万物に与えられたものなのですね。
全ての人に与えられる大切なダルマ
さて、星には星の、川や木々にもそれぞれのダルマがあるように、人間にもそれぞれに与えられたダルマがあります。
ダルマは犯すべきでないものだと古代から考えられています。
それは、人々の本来のあり方、生き方、行動規範であり、真実であり正義だからです。
人々も星と同じように、それぞれに定められた位置に配置され、決められた行動規範に従って生きるべきだと考えられました。それが現在のカースト制度に繋がるヴァルナの考え方です。
ヴェーダ(知識)を継承して祭りごとを行う祭祀、人々を守るための戦士、商業、農業、牧畜を行う人、物を生産する人、他の人のサポートを行う人、それぞれが個々の役割を果たすことで初めて社会全体の秩序が守られると考えます。
古代のインドにはマヌ法典と呼ばれる聖典があり、それが法律書のような役割を担っていました。
あたかも季節が季節の巡りにおいて自然に季節それぞれの特徴を帯びるように、身体を有するものたちはそれぞれに特有の機能・行動を身に帯びる。(マヌ法典1・30)
人を季節の特徴に例えるのはとてもユーモアがありますね。
春は明るくて暖かく朗らかで人の気持ちを高揚させます。雨季は曇りがちで薄暗く、ジメジメとどんより重たいです。
こんな季節の様に、人は生まれ持って違う特徴をもち、その特徴にあった役割が与えられています。
例えばコミュニティ全体の流れを見る能力がある人は管理職が向いているでしょうし、細かいことを正確に行うことができれば経理の仕事が向いているでしょう。
同じモノ作りの仕事でも、屈強な身体を持っていれば建築の仕事が向いているかもしれませんし、屋内で繊細なお菓子を作るパティシエもいます。
人によって生まれた時に与えられた才能が違うことを不公平だと感じる人もいるかもしれません。しかしそれは個性の違いでしかなく、優越ではないのだと理解しましょう。
全ての人が同じ仕事を行ってしまうと社会の秩序は保てません。
忙しく経済を発展させる仕事をする人もいれば、子供の絵本を何時間でも読んであげて未来の才能を育てる人も必要です。
自分に与えられた役割が優れている、劣っているとジャッジすることなく、社会全体の流れの中で大切な役割だと理解しましょう。
自分を知ることが最も優れたダルマ
全ての人が至福を得るために行うべき共通のダルマがあります。
- 聖典(ヴェーダ)の復唱
- 苦行(タマス)
- 知識
- 感覚の制御
- 不殺生(アヒムサー)
- 師(グル)への服従
その中でも最も重要視されるのが自分自身の本質を知ることだとされます。
これらのすべての中でも、アートマンに関して知ることが最も優れていると言われる。なぜならば、それはいっさいの学問の頂点にあり、それによって不死が得られるからである。(マヌ法典12・85)
ヨガでも自分自身を探求することが最も大切だと考えます。
ヨガで探す自分とは、外面的な立場や、身体の特徴ではありません。
今自分自身が思い込んでいる「自分」を全て手放したときに、本質的な自分に気が付くことができます。
私たちは自分だと思っている者には、本質的な自分であるアートマンと、物質的な自分があります。
本質的な自分であるアートマンは全てを含むものであり、宇宙全体と繋がるものです。
そんなアートマンを理解できるようになった時、物質的な自分の身体が行うべき自分の役割にも少しずつ気が付けるようになります。
それは個人的なものではなくて、大宇宙の一部としての大きな役割です。
そんな本当の役割、ダルマに気が付くことができると、人と比較して悲しむことがなくなります。
私たちが調和を保っているのは自分個人の人生ではなくて、自然全体の流れであると実感することができるからです。
アートマンのみがいっさいの神々である。いっさいはアートマンの中に存在する。なぜならば、アートマンはこれらの身体を有するものの、行為の実修(カルマ・ヨガ)を生み出すからである。(マヌ法典12.119)
私たちに与えられたそれぞれの役割に従って行われる行動をカルマ・ヨガと呼びます。
カルマ・ヨガは、結果に対しての執着や欲を捨てて行われます。
自分のダルマについて考えてみましょう
インドの宗教とも密接に関わっているダルマの思想は、間違った理解をすると職業別の差別を助長する危険性も含んでいます。
一方では、人々の違いを認めて、それぞれが自分の人生を楽しむための支えにもなります。
自分自身に意識が向いていれば、他者との比較に苦しむことはありません。
周囲の人に惑わされることがなく、ヨガによって自分と向き合って、自分自身の人生を楽しめるようになりたいですね。