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ヨガの教えの1つであるパンチャ・コーシャ(5つの鞘)について聞いたことはありますか?
パンチャ・コーシャとは、私たちは5つの層によってできていて、玉ねぎの皮をめくっていくように1枚ずつ剝がしていくことで、自分の本質に出会えるという教えです。
今回は、パンチャ・コーシャの教えを古代の聖典に残された詩と共にご紹介します。
ウパニシャッドに説かれたパンチャ・コーシャ(5つの鞘)
パンチャ・コーシャは、5つの鞘、5つの層として知られています。
まるで玉ねぎのように、人はいくつもの層で構成されていて、内側に行くほど本質に近づくと考えられています。
- アンナマヤ・コーシャ(食物鞘)
- プラーナマヤ・コーシャ(生気鞘)
- マノマヤ・コーシャ(意思鞘)
- ヴィジュナーナマヤ・コーシャ(理知鞘)
- アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)
パンチャ・コーシャの教えは、『ターイッティリーヤ・ウパニシャッド』という紀元前6世紀ごろに成立したと言われるとても古い聖典の中に記されています。
このウパニシャッドの中には、世界の始まりが説かれています。
全ての始まりはアートマン(自己の本質、個人としてのブラフマン)であり、アートマンから虚空(アーカーシャ)が生まれ、虚空から風(ヴァーユ)、風から火(アグニ)、火から水(アパス)、水から地(プルッティヴィ)、地から植物、植物から食べ物、食べ物から人間(プルシャ)が生まれたと説きます。
つまり、人間は自然界の食べ物によって生まれて生かされているのだと考えられています。
この食べ物で出来上がった層が、1つ目のコーシャ(鞘)です。
外側から順番に5つのコーシャを見ていきましょう。
食べたものによって生まれるアンナマヤ・コーシャ(食物鞘)
ウパニシャットの中で紹介されている詩があります。
確かに彼らは食べ物によって生き、死して食べ物に戻っていく。
よって食べ物は万物の長者であり、万物の薬である。
食べ物をブラフマンとみなすものは、食べ物の全てを手に入れる。
食べ物は万物の長者であり、万物の薬であるから。
全ての生類は食べ物から生まれ、食べ物によって生かされる。
それは食べられ、また生類を食べる。
よって食べ物(アンナ)と呼ばれる。
この詩によると、全ての生類は食べ物によって生まれて、食べ物によって生かされています。
そして、自身が死んだあと、また食べ物へと戻っていきます。
これが自然の摂理なのですね。
文明が発達すると人間だけが特別な存在だと勘違いをしてしまいがちですが、他の動物と同様に、植物や動物の肉を頂いて生きて、死ぬと大地に戻って他の生類の餌となります。
毎日頂いている食べ物がどれだけ尊いものであるのか、忘れてはいけません。
この、食べ物によって作られている身体の層をアンナマヤ・コーシャと呼びます。アンナとは食べ物を意味しています。
エネルギーによって生かされるプラーナマヤ・コーシャ(生気鞘)
アンナマヤ・コーシャ(食物鞘)より内側にプラーナ(気・生命エネルギー)によって生かされる層があります。
プラーナによって身体全体が満たされています。
プラーナについての詩を読んでいきましょう。
したがって、それは全ての生類の寿命と呼ばれる。
プラーナをブラフマンとみなすものは、その寿命を全うする。
したがって、それは全ての生類の寿命と呼ばれる。
この詩によると、私たちが神と呼んでいる存在もプラーナによって生かされています。
インドでの神とはスーリヤ(太陽の神)やチャンドラ(月の神)、ヴァーユ(風の神)と言ったように、世界に存在するあらゆるものを神格化したものです。
神様は超自然的な人間を超越した能力を持っていますが、そんな神々もプラーナ(気)によって活動しています。
それは人間や他の生類も同様です。
ハタヨガ教典では、身体からプラーナが抜けることを死と呼びます。
私たちの生命活動は全てプラーナによって行うことができ、プラーナの状態を整えることはとても大切です。
ウパニシャッドの詩によると、プラーナこそがブラフマン(梵・宇宙の根本原理)であると説かれます。
心の働きを司るマノマヤ・コーシャ(意思鞘)
ブラフマンの至福を知っている人は、いかなる時も恐れることはない。
マナス(意)とは、五感によって得た情報によって動かされる感情や、論理的に考えようとする思考です。
マノマヤ・コーシャ(意思鞘)はプラーナマヤ・コーシャ(生気鞘)より内側にあります。
人間にとって思考は、その人のアイデンティティを確立するとても大切なものです。
しかし、ヨガや仏教において思考は人を苦しめる幻想を生むもので、「ヨガとは心の働きを止滅するとこ」とも考えられています。
思考を止めて、静かにありのままを観察した時に真実が分かると考えられています。
ヴィジュナーナマヤ・コーシャ(理知鞘)
思考よりも内側にあるのが、正しい知性で、この層をヴィジュナーナマヤ・コーシャ(理知鞘)と呼びます。
マナスではエゴがあり、自分を元に考えてしまうので偏った判断しか行えませんが、ヴィジュナーナマヤ・コーシャでは真実を正しく理解することができます。
全ての神々は理知を最高のフラフマンとし崇拝する。
理知をブラフマンだと知り、そこから逸れず、
肉身に罪悪を捨て去れば、その人は全ての望みを手に入れる。
自分に与えられた正しいダルマ(職務)を理解し、調和を維持するための純粋な行為を行うのも理知です。
理知はブラフマン(宇宙の根本原理)そのものであり、真実を知ります。
正しい知性を知るためには、波を止めるように心の働きを沈めて、ただ現実を静観することが大切です。
真実を体感するアーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)
アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)は最も内側にあり、もっとも微細な層です。
自身の本質であるアートマンを直接包み込んで、層自体もアートマンの輝に染まっています。
もしブラフマンが存在すると知るならば、世界は彼を存在すると知る。
私たちの意識がアーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)に到達したとき、物質世界のあらゆるものは、その人を束縛できなくなります。
ただ存在し、世界の美しさを感じることができます。
ヨガではサントーシャ(知足)という教えがありますが、自分自身を正しく見えていないと満足は叶いません。
自分が見えていないと常に外側の富や名声、視覚的な美しさに囚われて、他者と自分を比較して苦しみます。
しかし、ヨガによって心を静めてエゴを手放すことで、自分自身の内側から生まれる大きな光に気が付くことができます。
その光に触れた時、物質的な欲望は消えていき、穏やかで終わりのない幸福感に気が付くことができます。
ヨガで意識を内側に向けていく
古代の神秘的な聖典がヨガの教えを授けてくれています。
コーシャというと聞きなれない言葉かもしれませんが、自分の意識をどこに向けていくのかは、人生においてとても大切なことです。
いつも外ばかり見ていると、自分自身の人生を歩むことができません。
となりの芝は青く見えるので、自分が持っていないものばかりに気が向いて、常に貪るような渇望に支配されてしまいます。
ヨガでは意識の矢印の向きを変えていきます。
まずは自分の身体に、呼吸にと意識を持っていき、自分自身の心を正しく理解します。
そして、それらに囚われなくなり、自分自身に意識が結びつけられた時、地に足の着いた人生を歩めるようになります。
最近は自己肯定感という言葉を使いますが、人と比較した成果ではなく、ありのままの自分を愛することができると、心がとても軽くなります。
今自分の意識がどこに向いているのか?
それを知るために、パンチャ・コーシャの考え方を活かしてみてはいかがでしょうか。