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ヨガとは何か?
この問いに対して、最も有名な回答は『ヨガ・スートラ』に書かれた言葉です。
ヨガとは心の働きを止滅することである。(ヨガ・スートラ1章2節)
つまり、ヨガとは自分の心をコントロールするためのテクニックだと考えることができます。
人生が苦しいと思っている人は、感情に支配されてしまっていることが多いです。
どうしたら自分の心や感情と向き合って、心をコントロールできるようになるのでしょうか。
教育やビジネスシーンで注目されている「メタ認知」とは?
ここ最近、教育やビジネスシーンで注目されている言葉に「メタ認知」という言葉があります。
このメタ認知能力を高めることで、感情に翻弄されにくく客観的な判断ができ、スムーズに物事を進めることができるようになります。
幸せについて研究しているハーバード大学のアーサー・ブルックス教授によると、人の脳をおおざっぱに3つの部分で分けることができます。
最初は脳幹や脊椎といった脳の根幹部分です。ここは生命活動を司るとても大切な部分です。
呼吸、血圧の調整、心拍、消化液分泌や体温調整など、生命維持に必要な指示を出したり、脳から各運動機関に信号を送っています。
2つ目は大脳辺緑系です。ここでは外からの信号入力処理をして、感情を作り出します。食欲、性欲、睡眠欲などの本能や、喜怒哀楽を司ります。
最期は額の裏側にある前頭前野です。ここでは感情を理解して行動を決めます。
客観的に感情を味わうことができ、感情や行動を制御することができます。この前頭前野の発達は人間の大きな特徴です。
例えば犬をペットとして飼っていると、大脳辺緑系が中心なことがよく分かります。
目の前にご飯があれば一刻も早く食べたいし、飼い主が仕事から帰ってくれば嬉しくて飛びつき、驚いたら噛みついてしまいます。
とても感情に素直ですが、言い換えれば感情に支配されていると言うこともできます。
人は、他の動物と同じように感覚器官から情報を得て、大脳辺緑系で感情を生み出します。
しかし、感情のままに行動するのではなく、前頭前野でいったん感情を味わってから、判断して、行動を行うことができます。
この前頭前野の部分を使えていないと、感情に支配されてします。私たちは感情の奴隷となり、あらゆる出来事に一喜一憂して判断能力を失ってしまいます。
「メタ認知」とは、感情を客観的に観察できる能力を意味します。
例えばお店で素敵なブランドのバッグを見た時に「これ絶対に欲しい!今は手持ちがないけど、分割なら買える。」と我慢できずに購入してしまうのは感情に支配されていますね。
しかし客観的に考えることができれば「このバッグはとても私の好みで欲しい。だけど、これを買ったら数か月間支払いに追われて、その間自由に使えるお金の余裕がなくなって、良いバッグがあっても窮屈に感じるに違いない。たぶん後悔が大きくなるな。」と、判断することができます。
ヨガ哲学とメタ認知
ヨガ哲学を説く古い教典にもメタ認知と同様の教えが書かれています。
『カタ・ウパニシャッド』では、人の心を馬車に例えています。
- 馬車に乗る人:アートマン(真の自分)
- 馬車:人間の身体
- 馬車を運転する御者:ブッティ(知性)
- 馬をコントロールする手綱:マナス(思考)
- 馬:五感覚器官
- 馬車の進む道:感覚の対象
私たちの進む道には様々な誘惑や罠があります。
感覚器官である馬は、美味しそうなにんじんがあれば追いかけて、キツそうな坂道があれば嫌がって避けるでしょう。
しかし、知性である業者が手綱(心)を使ってコントロールすることによって、人生の目的地に向かって進むことができます。
感情に操られてしまっては、食欲、物欲、名誉欲、性欲などの本能に翻弄された人生になってしまいます。
だから、馬車には御者が必ず必要です。御者は心や感情を客観的に見る知性です。
ヨガの実践では必ず客観性を養います。
アーサナの練習をしている時、最初は「私は身体が硬いから恥ずかしい」と感情に囚われてしまうかもしれません。
しかし、ヨガを続けていれば、それは恥ずかしいことではないと気が付きます。
身体が硬い人と柔らかい人に優劣はありません。大切なのは内側の感覚で、自分の身体の伸びを味わって楽しめているか、なのだと分かってきます。
徐々に自分の心のコントロールも学びます。
「身体が硬いことで、先生にどう見られているのかが気になる」といった自分の心の働きを客観視することができると、自分の心の働きの傾向を知ることができます。
それを現代的に言うと「メタ認知」です。
私ってこんなことを考えているのだと、普段は無意識な感情に気が付くことができ、自分の心に翻弄されにくくなります。
メタ認知の能力が人間関係を円滑にする
「身体が硬くてできないアーサナがあることが恥ずかしい」という自分の心を客観視できるようになってくると、自分の考えに潜り込んで思い込みをすることが減ってきます。
自分の心に潜ることをやめると、自分以外の人の思考も客観的に見ることができるようになってきます。
私が恥ずかしいと思っている時、目の前の先生は何を考えているのでしょうか。
身体の硬い生徒を見て「あの人は全くポーズができない素人だね」と馬鹿にするヨガの先生はいないと思います。
「まだ身体の使い方が分からなくて大変そうだな。身体が強張って緊張しているから、もっと力を抜けるように導いてあげたいな。」と思っているのではないでしょうか。
「先生は身体の硬い私も受け入れてくれている。先生は私にヨガを伝えたいと思っている。」それが分かると、居心地の悪さが消えてきます。
人間関係では「あの人は私に敵対心があるだろう。」という思い込みによって苦しみが生まれがちです。
本当は愛し合っている家族であっても、「母親は私のことを否定ばかりする」と思い込むことで、ますます両者の関係が悪くなります。
自分と違う考えの意見を言う人がいても、その人にも必ず考えがあります。
一方的な心に囚われてしまうと、小さなすれ違いから人間関係が立て直せなくなってしまいますね。
心を俯瞰するために呼吸と体からアプローチする
心を客観的に見ることの大切さは理解できても、なかなか現実には難しいものです。
ヨガでは、直接コントロールすることが難しい心を制御するために、呼吸や身体を使います。
例えば、緊張や不安、恐怖心が続いている時には筋肉も強張っています。
心をリラックスさせるためには、アーサナで身体をストレッチすることがとても効果的です。
呼吸によっても心をコントロールすることができます。
気が動くと心も動く。気が動かなければ心も動かなくなる。ヨギーは不動心に達しなければならない。だから、気の動きを制止すべきである。(ハタヨガ・プラディーピカ2章2節)
呼吸と心の働きは繋がっています。
例えば、感情が高ぶっている時には激しくて短い呼吸になっています。
そんな時には、できるだけ長くて細い呼吸をしてみましょう。
とても怒っている時に長い呼吸をしようとすると、詰まりを感じます。
その詰まりを取り除くように、ゆっくりと胸に息を入れていきます。
深くて長い呼吸を5回だけ行っても、心の中の黒い靄(もや)が取れたように、視界が明るくなるのを感じられると思います。
上手くアーサナと呼吸を組み合わせれば、心を穏やかにすることができます。
自分を見るもう1人の自分を育てよう
ヨガを行っていると、高いところから自分を観察しているもう1一人の自分を感じる人がとても多いです。
まるで子供や、飼っている犬を観察するように、自分を愛しい存在として観察して、アドバイスを行うことができます。
日常生活の中では、必ず様々な感情が生まれてきます。
それは人間として当たり前のことですが、生まれてきた感情に支配されると苦しくなります。
感情を楽しんで味わえるようになるといいですね。