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『バガヴァッド・ギーター』では、沢山のヨガの種類を提唱しています。
たった1つの方法を正解とするのではなくて、人によって向いている道があることを説いてくれるのがクリシュナ神のヨガの特徴です。
人生でも同じではないでしょうか。
同じ職業に就いて、同じ目標を持っている人であっても、意識が向いているアプローチが違います。自分自身を理解して、どのようなアプローチで自分が1番楽しめるのかを知ることは大切です。
今回は、バガヴァッド・ギーターの中でクリシュナ神が説いた様々なヨガの道を紹介しつつ、自分にとっての道が何かを考えるきっかけになればいいと思っています。
クリシュナの説いた様々なヨガ
世界中で読まれているバガヴァッド・ギーターでは様々なヨガについて説かれています。
代表的なものは4つです。
- ギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
- カルマ・ヨガ(行為のヨガ)
- ラージャ・ヨガ(瞑想)
- バクティ・ヨガ(信愛のヨガ)
ちゃんとギーターを読み込むと、これだけでないことが分かります。
例えば、当時のインドではサンニャーシン(放棄者)という出家僧が多くいたので、完全に社会生活を断ち、あらゆるカルマを生み出さないサンニャーサ(放棄)というヨガについても触れられています。
また、当時のインドで栄えた占星術や、太陰太陽暦、ヤジュル(宗教儀礼)などの、あらゆる叡智が詰められています。
では、それぞれのヨガの特徴と、どんな人が向いているのかを考えてみましょう。
思慮深い人はギャーナ・ヨガ(知識のヨガ)
バガヴァッド・ギーターで最初に出てくるのは第2章のギャーナ・ヨガです。
ギャーナとは、知識を意味します。
第2章でクリシュナ神は、世界のあらゆる真理を説きます。つまりギャーナ・ヨガとは、物事を正しく知ることです。
どうして知識が必要なのでしょうか。
それは、私たちが間違った見識、迷妄(マーヤー)に汚されて、自ら苦しみを生み出しているからです。
例えば、大好きなゲームの専門学校に行きたいのに、両親に強く反対されてしまったとしましょう。
すると「自分の親は私を理解してくれない、私を愛してくれない。」と苦しむかもしれません。
しかし本質は違います。子供を愛しているから反対し、心配だから感情的になったのでしょう。
客観的に見れば簡単なことでも、自分のことになると分からなくなってしまうのが人間の感情です。
だからこそ、常に冷静に世界を見られる視野が必要であり、それを学ぶのもギャーナ・ヨガの1つです。
ギャーナ・ヨガは学ぶこと、考えることで深まるものなので、思慮深い個性を持った人には受け入れやすいと思います。
“まずは考えてから行動する”タイプです。
考えるだけでは意味がないので、考えたことを実行し、その結果をまた考察することがギャーナ・ヨガです。
体験が大切なカルマ・ヨガ(行為のヨガ)
バガヴァッド・ギーターやヨガ・スートラを開いて5分で眠くなってしまった人は、ギャーナ・ヨガよりカルマ・ヨガが向いているかもしれません。
“思い立ったら吉日と、即行動を起こせる”タイプの方も、こちらが向いています。
カルマ・ヨガでは、自分がやるべきことにひたむきに取り組みます。
実践して、経験の中から学びを得ます。
自己のダルマ(義務)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者のダルマ(義務)に勝る。(バガヴァッド・ギーター3章35節)
カルマ・ヨガの章と言われる3章では、ダルマ(義務・役割)という言葉が出てきます。
人には、それぞれの役割があるというのがギーターの考えです。
例えばサッカーをする時に、ゴールキーパーが自分も活躍したいからと相手側のゴールを責めたら、チーム全体のバランスが崩れてしまいます。
サッカーではそれぞれの選手に与えられた役割が違います。
同様に、社会の中では、食事を作る人もいれば、掃除をする人、農業や酪農、商売をする人など、本当に沢山の役割があります。
誰か優れているのか、劣っているのかではなく、あらゆる人がいないと成り立たないのが社会です。
カルマ・ヨガでは、他人のダルマ(役割)と自分のダルマ(役割)を比較することなく、目の前のことを一生懸命に遂行することで、その経験から学びを得ることができます。
そのためには、結果に対する欲を手放すことも大切です。「これを得るために」という利益目的で動くと上手くいきません。
ヨガのポーズも、「開脚をマスターする」という目的意識だけで行うと充分に楽しめませんね。結果よりも、行動している今、この瞬間を味わうことを学びます。
自分と徹底的に向き合うラージャ・ヨガ(瞑想)
ラージャ・ヨガは瞑想を行うヨガです。
一般的にヨガと聞いてイメージするようなアーサナ(体位)・プラーナーヤーマ(調気法)、瞑想を行うようなヨガは、ラージャ・ヨガと呼ばれます。
古代のインドでは、ラージャ・ヨガはジャングルやヒマラヤ山脈など、人里離れた場所に籠って行うような孤独なものでした。
それは、究極の自分探しと言うことができます。
現代でも、自分自身を探求することは大きなテーマの1つです。
自分の人生の意義は何なのか、自分とはいったい何なのかを探求し、自分をコントロールしながら高めたいと願う傾向のある人にはとても向いているヨガです。
日常生活でも自分の感情の起伏や体調の変化などを理解し、自らそれを制御しようと、自分自身を使った実験を楽しめるのがこのタイプです。
世界との繋がりを感じたいバクティ・ヨガ(信愛のヨガ)
バクティ・ヨガはクリシュナ神への信愛のヨガです。
愛という感情は幸福を感じるために最も重要なものです。
どれだけ経済的な成功を収めた人であっても、信頼し合える深い人間関係を築き上げられないと孤独に苦しめられます。
ヨガ的な愛とは、エゴのない、見返りを求めない純粋な愛です。
自分にとって近い人間関係の人や、利益を生む相手だけに向けるものではなく、誰に対しても平等な愛を向けます。
親しい者、盟友、敵、中立者、中間者、憎むべき者、縁者に対し、また善人と悪人に対し、平等に考える人は優れている。(バガヴァッド・ギーター6章9節)
社会的な立場を見れば、敵・味方という関係性に分けることができるかもしれません。しかし、それぞれの本質を見た時には、誰もが同じように尊い存在です。
それは、人間だけでなくペットの動物や、道端の虫だって同じです。私たちが毎日飲んでいるコーヒー豆を栽培してくれた遠くの国の人も同じように愛しい生命を持っています。
愛情は他者に何かを求めることではなく、純粋に湧き出てくる途切れないものだと感じられるようになると、深いバクティを理解できるようになってきます。
自分に合った生き方、価値観を見つける
バガヴァッド・ギーターに書かれた代表的なヨガをご紹介しました。
ここであげた4つのヨガは全く違うものに見えますが、実は同じ目標を持っています。
- 世の中の真実を理解すること
- アーナンダ(至高の幸福)に到達すること
誰もが自分自身の人生をより良いものにしたい、幸せになりたいと感じています。
しかし、人には個性があるので得意不得意があるのは当然です。
1つの方法が上手くいかなかったとしても、それはその人が劣っているからではありません。その人がワクワクできる、自分にあった道に出会えなかっただけですね。
人生では、頑張っても成果が出ないこともあるでしょう。そんな時、自分はダメなのだと決めつけてしまっては勿体ないです。
自分らしい価値観、自分らしい生き方を見つけられるといいですね。