両手でチンムドラを組み、目を閉じて微笑むピンク色のセーターを着た女性

恋愛関係に悩んだ時にこそ、深呼吸をしてヨガの慈悲喜捨を実践

人の悩みはとても俗世的で、ヨガのありがたい教えを聞いてもなかなか日常生活に活かせないと感じる人も多いと思います。

特に恋愛などで悩んでいる時には感情に支配されてしまい、とても冷静さを保てません。

そんな時にもヨガ哲学は役に立つのでしょうか?

ヨガに出会う人は、とても感情が豊かな人が多いと思いますが、感情に支配されるのではなく、感情を楽しめる方法を学びたいですね。

恋愛関係にも効く慈悲喜捨の教え


自分自身を高めるための古典ヨガでは、人間関係についての教えは少なめです。

しかし、自分自身を大切に扱って、心に余裕が持てれば、周囲の人との関係性も自然とよくなってきます。

職場やヨガで出会う人、同性の友人とは上手くできるのだけど、異性の恋愛相手だと全くわからないという人もいます。

ヨガを行っていて、同じような価値観の人が周りに増えてくると、そうでない人との価値観の違いに悩む人もいると思います。

職場の人間関係のように、一定の距離がある関係ならいいのですが、恋愛パートナーのように関係性が深くなると違和感が大きくなってしまうことは多いと思います。

そんな時こそ、客観的に自分を見て人間関係を築くことがとても大切です。

『ヨガ・スートラ』 には、慈悲喜捨という教えがあります。

他人の幸せ、不幸、善行、悪行に対して抱く、友情、同情、喜び、無関心の感情は心の寂静を生む。(『ヨガ・スートラ』1章33節)

恋愛の場面では「常に相手のことを考えている」と思っていても、案外できていない人が多いです。

自分の価値観で、相手もこうした方が幸せになれるはずという考えを押し付けてしまうこともよくあります。

ヨガ哲学で学ぶ慈悲喜捨をどのように活かすのか、具体的な場面で考えてみましょう。

人の幸せを喜べる「慈」


最初の「慈」は人の幸福を喜べる感情です。

大好きな人が幸せだったら幸せなのは当たり前だと思っていませんか。案外これが、できていない人がとても多いです。

例えば、彼の仕事がとても忙しくてなかなかデートができないとします。

私とは一緒にお出かけする暇がないのに、週末に友達と飲み明かしてストレス発散できたと聞いたらどう思うでしょうか。

「友達と遊ぶ時間があるのなら、私ともたまには一緒に出掛けて欲しい。私との食事代は節約して家ご飯ばかりなのに、友人と出かける時にはお金を使うのはおかしい。」と文句を言ってしまうかもしれません。

すると相手も、自分が楽しいことをしたら嫉妬されるから、言わない方がいいと思って隠すようになってしまうかもしれません。

最も大切な人に自分の楽しみを話せないのは悲しいことですね。

仕事の関係の人と話題のレストランに行っても「あなただけ良いレストランに言ってずるい」と言われるのが嫌で隠すようなことが続くと、1番身近な人が、1番何も言えない窮屈な相手になってしまいます。

自分にとって愛しい人が幸せを感じたなら、それを一緒に喜んであげられる余裕が欲しいですね。

そのためにも、ヨガで自分自身の時間を充実する方法を学ぶのは効果的ですし、パートナーが忙しい時には自分だけでも楽しめる趣味を充実させたいです。

相手の辛さを理解する「悲」


相手が苦しい時には、1番の理解者になってあげたいと誰でも思っているでしょう。しかし、苦しい時にどう接して欲しいかは人によって違い、上手くいかないことがあります。

ある人は、嫌なことがあったら満足がいくまで愚痴を言って吐き出したいと思うでしょう。

友達とお酒を飲みながら、週末の昼間のカフェで、何時間でも愚痴を言い合える友達がいると幸せですね。

しかし、嫌なことがあった時に、それを口に出したくない人もいます。それを理解してあげることも大切です。

職場で嫌なことがあったら、プライベートの時間にはそれを口に出したくない。特に大切な人の前では、自分の弱い部分を見せたくないと思うことも普通のことです。

相手に嫌な話をしたくないと気を使っていながらも、そんな時には楽しめるムードではありませんね。だんまりで無愛想な態度をとってしまうかもしれません。

そんな相手に「もっと構ってよ。何かあるなら話してよ。」と迫ってしまっては、余計にストレスを与えてしまいます。

人によって、ネガティブな時間の解消法は違います。相手の機嫌が良くない時には、どうして欲しいのか、理解して寄り添ってあげたいですね。

また、自分が愚痴を聞いて欲しいのに全く話を聞いてくれない時には、相手も外でストレスを抱えているのかもしれません。お互いに仕事などで大変な時には、どちらも「自分のことを考えて欲しい」と少し自分勝手になって、相手のことが見えなくなってしまいます。

客観性がとても大切ですね。

相手の善行を祝福する「喜」


愛する人が良いことをしたら嬉しいはずです。しかし、自分がうまく行っていない時には、妬みになってしまうこともないでしょうか。

お互いに仕事をしていると、お互いに褒めて欲しいと思ってしまいます。

だけど、自分も精一杯な時には「こんなことを上司に褒められたよ」と言われても、「それくらい私もいつもやっている」と思ってしまうかもしれません。

週末に、いつも料理をしないパートナーが私のためにトーストとコーヒーを淹れてくれても、「ドリップが雑だな、コップも温めてないな。私が自分で淹れた方が美味しいんだよね。それに、どうせ片付けるの私だし。」と、考えてしまうと、全く感謝できなくなってしまいますね。

自分の方が家事が得意だとしても、苦手なことを私のために挑戦してくれた、その気持ちに感謝できるようになると良いですよね。

相手の気持ちに感謝し言葉で表現できるようになると、相手も私のことを認めてくれるようになります。

相手の欠点を責め続けない「捨」


大切な人だからこそ、自分のパートナーにはちゃんとして欲しいと思う人も多いと思います。

例えば、交通ルールを守らないなど、明らかに間違ったことをした時には注意をしなくてはいけないでしょう。

しかし、ちょっとしたミスをネチネチと言うようにはなりたくないですね。

家の中で脱いだ衣服を床に放置していたり、水回りの使い方が雑であったり、一緒にいる時間が長い相手ほど細かい部分が気になるようになってきます。

その時に「外ではしっかり者に振る舞っていても、自分にはリラックスしてダメな部分を見せてくれる」とそのままを愛するのか、子育てをする感覚で、できた時に大袈裟に褒めて教えるのか、お互いストレスにならない方法を見つけたいですね。

結局は自分の心の余裕が大切

人と人との付き合いでは、必ず価値観が違ってぶつかることがあります。

ここまで読んで、「自分だけが我慢して良い人でいないといけないのは不公平」と感じる人もいるかもしれません。

しかし、自分がストレスを感じている時には、必ず相手も同じように違和感を覚えています。

どれだけ愛した相手であっても、全てを理解することはできません。

それを「苦しみ」と考えるのか、「違うから面白い」とポジティブに捉えられるのかは、自分自身の心の余裕次第です。

冷静に考えれば、自分も感情的になりすぎたり、ネガティブに考えすぎたりしてしまうことがあるはずです。

自分であれば「今日は睡眠時間が少なかったから疲れていて仕方ない」と思えることがあるのに、人には「私の前ではいつも良い人でいてほしい」と押し付けていませんか。

相手の態度が良くない時には、必ず理由があります。原因が私の場合もあれば、私とは無関係の時もあります。

どんな時でもお互いを尊重して、その上で一緒に成長できるような関係性を育てられるようになると良いですね。

人間関係を築く時ほど、ヨガで学んだことが活きると思います。

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