人生が楽しめない人の多くは、”自分自身を認めてあげられないこと”が大きな要因の1つではないでしょうか。
「どうして私は他の人より劣っているのだろう」「私だけ恵まれていない」と思う人はとても多いです。
そんな苦しみには、常に人と比較する相対的な思考が原因となっています。
自分の考え方のパターンを変えるための教えを、『バガヴァッド・ギーター』から読み解いてみましょう。
相対的なジャッジでは人は幸せになれない
誰でも、「どうして私だけ」と思ったことは必ずあるのではないでしょうか。
学生時代から同級生と比べて「私は努力しても地頭が良くないから成績が思うように上がらない」、「運動神経がないから体育の授業が恥ずかしい」「社交性もなくて、みんなのように友達と仲良くできない」と、自分への評価が低くて苦しんだ経験がある方も多いと思います。
そのように惨めさを感じて生きてきた人が親の立場になった時には、「私の子供も私と同じで地頭が悪くて可哀想」と思ってしまうかもしれません。
子供は両親の影響を最も受けやすいので、自己肯定感が低い苦しみは続いてしまいますね。そう考えると、私が苦しんでいるのも、自分の両親の価値観が原因なのかもしれません。
ほとんどの場合、「自分は幸福か不幸か?」の判断基準は、他人との比較です。
学業で言うと、偏差値50では低いと悩んでいる人がいるとします。しかし、偏差値50とは、ちょうど中間です。
偏差値50で苦しむのであれば、全ての学生の半分は惨めな思いをしなくてはいけません。
将来のためにより高い偏差値を目指すことは素晴らしいことです。しかし、一生懸命努力しても思うようにいかないこともあります。
他の人よりも優位でないと幸福になれないという考え方は、自分以外の人が不幸になることを無意識に認めていることです。比較で上か下かを決める方法では、幸福にはなれないですね。
誰にでも個性があります。ある人は暗記が得意で、ある人は計算が得意でしょう。語学が得意な人の中でも、テストや筆記に強い人と、文法は正しくなくても外国人とコミュニケーションが得意な人では全く違う才能です。飛び抜けた才能がないけど人に甘えるのが得意な人もいれば、甘え下手だから独立心が強い人もいます。
個性は様々なので、そこに優越をつけても意味がありません。
人は自分の個性に合った役割(ダルマ)を遂行することで充実感を得ることができます。
接客業の人もいれば、大きな企業で管理職の人もいる、農家で野菜を作る人も、清掃業の人もいます。多くの人は職業に貴賎をつけたり、収入などの分かりやすい基準でジャッジしようとしたりしますが、それは間違っています。
どの職業の人が欠けても社会はうまく回らず、全ての人が大切な人です。
賢者は、学術と修養をそなえたバラモンに対しても、牛、象、犬、犬喰に対しても、平等のものと見る。(バガヴァッド・ギーター5章18節)
もしも自分よりも収入が低い人を見下していることに気がついたら、きっと自分自身に対しても同じことをしてしまっているでしょう。
人と比較する自分の心の癖に気がつく
まずは自分の心の癖に気がつくことが大切です。無意識に自分を傷つけていることが、本当に多いのだと気が付けます。
ヨガのクラスで考えると分かりやすいです。
後屈が得意な人もいれば、逆転のポーズが得意な人もいます。自分の方が長くヨガを練習しているのに、若い人の方が上手にポーズができることもあります。
その時に、きっと自分自身を惨めに感じてしまっているのではないでしょうか。
もしくは、自分の方が劣っていることを認めたくなくて、「あの子はアクロバティックみたいなポーズができるけど、ヨガは新体操じゃない。私の方が本質を理解している。」と、様々な思考を働かせてマウントを取ろうとしてしまいます。
ヨガのクラスは、誰かに勝ちたくてきているわけではありませんね。
ヨガの時間を楽しみに来ているはずなのに、気がついたら誰かに勝つことが必須になっています。
そんな時は、自分の心の癖に気がつくことができるでしょう。いつも競争をして、上位にならないと幸福でないと思い込んでいるのですね。
自分の本当の目的を見直してみましょう。
ヨガのクラスに通うのは、誰かに勝つためではありません。心地よさを感じ、健康になりたいからです。
生徒が10人いるクラスなら、10人全員が終わった後にスッキリして、気持ちよかったと感じられるのが本来の目的ですね。
誰かに勝たなくても幸せになれる。それに気がつけるようになりましょう。
1人勝ちする幸福よりも、同じ心地よさを周囲と共有できた方が絶対に楽しいのではないでしょうか。
幸せの条件を自分で決めるギーターの教え
一見大変そうな境遇に見えても、幸せな人も沢山います。
では、幸せな人と不幸な人の違いとは何でしょうか。
幸せな人は、どんな状況であっても幸福を見つけることができます。それは、自分自身が何が欲しいのかを分かっているからです。
自分で自分の望みを決断できる人はとても強い人です。自分にとって1一番大切なことが分かれば、自分の幸福を見失いません。
自分の人生に責任を持つことは簡単なことではありません。しかし、それができないといつまでも自分の幸せが見つかりません。
自ら自己を克服した人にとって、自己は自己の友である。しかし自己を制していない人にとって、自己はまさに敵のように敵対する。(バガヴァッド・ギーター6章6節)
私も自分の欲しいものがあるのに、手に入らなくて悩んでいるという人は、本当に欲しいものが分かっていないのかもしれません。
例えば「子供と笑顔で過ごす」というのが目標であれば、子供と一緒に楽しく遊ぶ時間を大切にしたり、一緒に美味しいものを食べる時間を満喫すれば良いのです。
しかし、毎日勉強しなさい!と毎日怒り続けながら「笑顔で過ごせない」と悩むのは本末転倒でしょう。
多分その人は、「将来に不安がないくらいお金があって、子供もある程度成績が良くて、そこそこ運動もして、野菜もちゃんと食べて、片付けもできて、親の言うことを聞いて、私と笑顔で過ごしてほしい。」と、全てを望んでしまっているのだと思います。
全てを手に入れるのは至難の技ですね。自分の欲しいものが何かを考えてみましょう。
高収入になりたいと言う人がいれば、本気で仕事をして、プライベートの時間を犠牲にして、時にはリスクも取ることが必要かもしれません。
だけど心の中では「高収入の仕事に就いて、安定していて、旅行に行って、睡眠時間は毎日7時間」と、高望みしていては難しいですね。
「自然のある生活」を本気で望むなら、田舎に移り住めば良いのです。
本気で自然の中で住みたいなら、家賃のほとんどかからない家を探してDIYしながら、人手が足りない農業に就くなど道を見つけられるはずです。だけど、田舎の不便さは嫌だと思ったら難しいですね。
極端にお金儲けをすることも、極端に自然派になることも大変だなと気がついた時に、結局今の自分が選んだ生活が1番居心地がいいのだと気がつくことができます。
「ほどほどが良い具合」だと思うのも、1つの選択です。
これを手にしたら幸せという魔法はありません。
何かを手に入れるためには、必ず何かを諦めることになります。だからこそ、自分が本当に欲しいものを見つけましょう。
自分にとっての幸福さえ分かれば、人との比較で苦しむことはなくなります。
自分で道を選ぶことで自分を好きになれる
自分で自分の幸福を決断することはとても不安で怖いことです。
だから多くの人は、マスメディアや周囲の価値観に合わせて幸せの定義を図ろうとします。
もし、自分とちゃんと向き合って、自分が望む生き方を決断することができれば、そこに迷いは生じません。
だからこそ、自分と向き合うことが最も大切です。
ヨガでは、常に自分との対話を行います。
最初はヨガマットの上で、自分の感覚に耳を傾けようとします。少しずつ自分の声を聞けるようになったら、自分の心と向き合う練習をします。
最初はヨガマットの上だけだった自分との対話が、習慣化すれば、きっと自分の道が分かるようになってくるはずです。