皆さん、こんにちは!丘紫真璃です。
今回は、富安陽子さんの人気シリーズ「やまんばあさんシリーズ」を取り上げたいと思います。
富安さんと言えば、数々の楽しくて、愉快で、時には胸がキュンとする妖怪物語の名作を書き続けていらっしゃる妖怪物の名手ですが、その中でも「やまんばあさんシリーズ」は、かなり人気作の1つです。
やまんばあさんの物語を読んだら、誰だって、やまんばあさんを大好きにならずにいられません。
その魅力はいったいどこにあるのでしょう。
今回は、ヨガの観点から、やまんばあさんの尽きない魅力を探っていきたいと思います。
妖怪物語の名手・富安陽子先生
1959年生まれの富安陽子さんは、日本を代表する児童文学作家であり、現在も現役で活躍しています。
25歳でデビューして以来、児童文学者協会新人賞や、小学館文学賞、新美南吉児童文学賞、サンケイ児童出版文化賞、野間児童文芸賞、産経児童出版文化賞フジテレビ賞、講談社絵本賞など、数多くの賞を受賞し、胸のワクワクするような妖怪物語を世の中に送り続けています。
キツネや、やまんば、てんぐや、猫又、ムジナなどの妖怪をはじめ、幽霊、山神様や鬼に至るまで、摩訶不思議な物が織りなす世界を、ユーモラスたっぷりに描く富安先生の作品は、昔から今に至るまで、子ども達を夢中にさせ続けてきました。
今回は、そんな富安先生の作品の中でも、人気者の1人であるやまんばあさんの魅力に迫ります。
やまんばあさんは縛られない
やまんばあさんシリーズの第1作目『ドングリ山のやまんばあさん』は、次のように始まっています。
ドングリ山のてっぺんに、やまんばあさんという、1人の山姥が住んでいた。
年は、二百九十六歳。それじゃあ、きっと、ヨボヨボだろうって?
いやいや、ドングリ山のやまんばあさんときたら、オリンピック選手よりも元気で、プロレスラーよりも力持ちだった。
山のふもとの頂上までのけわしい山道も、やまんばあさんがかけ上がれば、たったの四分三十秒。人間なら大人だって、一時間はかかる道なんだ。
でも、隣り山に用事がある時には、やまんばあさんは、わざわざ山道を歩いて行ったりはしない。深い、ドキドキするほどけわしい谷間を、ぴょんとひとっ飛びに、飛びこしてしまえるから。
(『ドングリ山のやまんばあさん』)
こんな出だしから始まるやまんばあさんの物語ですが、どうですか?
もう、冒頭を読んだだけで絶対面白そうな物語だと、ワクワクしてきますよね。
やまんばあさんの人気の秘密は、でっかいイノシシでも、クマでも、ヒョイとあっさり持ち上げられる怪力で誰にも負けっこないという点や、時速80キロで走る車でさえもあっさりと追いぬかしてしまえるという点にあるのですが、1番大きな点は、“やまんばあさんが自由だ”ということでしょう。
やまんばあさんの発想は、あらゆる点で全く縛られていません。
人間なら、今では幼稚園生だって、知識という常識に縛られてしまって、何でも物事をよく知っています。
でも、やまんばあさんは、字だって読めませんし、町だって百年間おりていないためにお祭りも、何も知りませんし、とにかく何も知らないので、その発想は常識に全く縛られておらず、とても自由なのです。
ヨガの最大の目的は縛られないということにありますが、その点やまんばあさんは、『ヨガ・スートラ』を編集したパタンジャリもうらやましがるくらい、全く縛られていないのです。
例えば、ドングリ山のふもとの町から商店街のチラシが飛んできた時。
やまんばあさんは字が読めないものですから、いくらチラシを見たって、それが商店街のチラシだなんてわかりません。けれども、きっと、自分宛に来た手紙だろうと決めつけて、風船を持ったクマとウサギが笑っているイラストを手がかりに、デタラメに手紙を読み始めます。
こんにちは。やまんばあさん。お元気ですか? もう、百年も町に下りていらっしゃいませんが、たまには遊びに来てください。私たちは、いつも、やまんばあさんのステキな歌を聞きたいな…と思っています。このあいだ、ドングリ山のクマとウサギが町にやって来て、
やまんばあさんの歌は、最高だと言っていました。私たちにも、ぜひ、そのステキな歌を聞かせてください。おまんじゅうをたくさん用意して待っています。とっても大きくて、おいしいおまんじゅうです。クマとウサギも、おいしい、おいしいとよろこんでいました……
(『ドングリ山のやまんばあさん』)
やまんばあさんは、そんな具合に、商店街のチラシをデタラメに読んでいきます。
やまんばあさんが、おまんじゅうと言ったのは、風船を知らなかったからなんですね。
風船を持ったクマとウサギのイラストを、棒に突き刺したおまんじゅうを持っているクマとウサギと思ったために、やまんばあさんの手紙は、こんなことになったわけです。
やまんばあさんの目から見たら、風船だって、棒つきのおまんじゅうに変わってしまうわけです。
なんとも縛られていなくて、自由ではありませんか!
やまんばあさんは早速町に遊びにいき、時速80キロで走る車と競争したり、綿菓子の機械を発見すると、おいしそうな雲を作る機械だと喜んで、早速、綿菓子の機械に自分の腕を突っ込んだり、時計台のてっぺんによじのぼって「ヤマンマンボ」を歌いまくったり、やりたい放題自由にやりまくって、ものすごく楽しみます。
誰かに恩返しがしたくてたまらない
やまんばあさんはルールという常識に縛られていなくて自由奔放ですが、それでいて、みんなに決して嫌われないのは、やまんばあさんがどこまでもサットヴァで、まるで生まれたての子どもみたいにピュアだからでしょう。
サットヴァの心の持ち主であるやまんばあさんは、誰かに親切にしなければいけないという義務感からではなく、自分が親切にしたいから心から楽しく、サラリと自然に親切にするのです。
例えば、やまんばあさんが、鹿のおじいさんから、浦島太郎に恩返しをしたカメの話を聞いた時。
やまんばあさんは、大きく舌打ちをしてこう言います。
「そのカメの野郎は、なってないね。乙姫っていうやつも、ひどいじゃないか。いくらごちそうやおどりでもてなしたって、その間に家も家族も友だちもいなくなっちまったんじゃ、しようがないよ。だいたいね、決して開けちゃいけない箱をお土産に持たすなんて、どういう気なんだろうね。開けちゃいけない箱なら、最初っから、お土産にしなきゃいいじゃないか。なってない! まったく、なってないよ!」
(『ドングリ山のやまんばあさん』)
あたしならもっとうまく恩返しするのに…と思ったやまんばあさんは、誰かに恩返ししたくてしたくてたまらなくなり、早速、恩返しの準備に取りかかります。
谷川の冷たい水の中からピチピチの魚をどっさり取ったり、秋の間にためこんでおいた木の実や、干しキノコや、ハチミツでご馳走をこしらえたり…。
そこまでご馳走をこしらえたやまんばあさんはハッとして、誰かに恩返しをするってことは、その前に自分が誰かから恩を受けなきゃいけないことを思いつきます。
そこで、やまんばあさんは町はずれまで駆け下りると、その日は深い雪がつもっていたので、雪だまりの中にズボンと飛びこみます。
そして、頭だけニュッとつき出して、だれかが、自分のことを引っ張り上げてくれるのを待ちました。
誰かが、やまんばあさんをひっぱりあげてくれたら、その人に恩返しができるってわけなんです。
雪だまりの中から頭だけ出ているおばあさんなんて、考えてみたらこわくて、こわくて、たまりません。
犬の散歩をしていたおじさんは、あまりの恐ろしさに、やまんばあさんを引っ張り上げずに逃げ帰ってしまいます。
けれども、次に通りかかったおばあさんは、とても目が悪かったので、雪だまりから頭だけつきだしているやまんばあさんを、しなびた白菜だと勘違いして、白菜を引っこ抜こうと身をかがめて、やまんばあさんの頭をひっぱります。
すると、やまんばあさんはすっかり嬉しくなって、
「あたしを、助けてくれてありがとう!」と怒鳴って、自分から雪の中から飛び出すと、腰を抜かしているおばあさんをおんぶして、ドングリ山のてっぺんの自分の自宅まで、駆け走りました。
おばあさんは最初こそ、自分がひっこぬいたのはしなびた白菜じゃなくて、山姥だったと気がついてブルブル震えていましたが、やまんばあさんがあんまりニコニコとしているのと、恩返しのために用意してくれたごちそうが、ものすごくおいしかったので、すぐにくつろいで、幸せな気持ちになってしまいました。
やまんばあさんは、おばあさんのために歌って踊って三回転宙返りをキメ、おばあさんは、思わずつられて踊り出し、2人はものすごく楽しい時を過ごしました。
夕方になって、おばあさんがそろそろ帰らなくちゃ…と言い出すと、やまんばあさんは、ガッカリしますが、もちろん気のいい山姥でしたので、おばあさんをおんぶして、家まで連れ帰ってあげます。
そして、やまんばあさんとおばあさんは、心からの友達になって、またねと、手を振って別れたのでした。
やまんばあさんは、恩返しをしたくてしたくてたまらなくて、恩返しをしたのです。
ご馳走をふるまうのが嬉しくて、相手のおばあさんがおいしいと言ってくれるのが幸せで、恩返しをしたのです。
サットヴァなやまんばあさんは、大雪の日でも、嵐の日でも、何かしら遊びの種を見つけて、ものすごく楽しがってウキウキと暮らしています。
それがまた、やまんばあさんの大きな魅力だと言えるでしょう。
やまんばあさんシリーズを読めば、床屋も、学校も楽しくて驚きでいっぱいの場所に変わってしまいますし、世の中は冒険にあふれています。
何も縛られていなくて、気のいい親切なやまんばあさんの物語は、最高に面白いですから、皆さんも、ぜひ読んでみて下さいね!
参考文献:『ドングリ山のやまんばあさん(2003年)』著 富安陽子(理論社)