皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、アメリカの児童文学作家ビバリー・アトリー・クリアリーの「ビーザスといたずらラモーナ」をご紹介したいと思います。
以前、このコラムで「がんばれヘンリーくん」をご紹介しましたが、「ビーザスといたずらラモーナ」は、14冊におよぶヘンリーくんシリーズの中の1冊に当たります。
ヘンリーくんは、アメリカのクリキッタット通りで暮らす少年ですが、ヘンリーくんの物語には同級生であり仲良しの女の子ビーザスと、その妹のラモーナがたびたび登場します。
今回取り上げる物語は、ヘンリーの友達であるビーザスが主人公になっており、とんでもないいたずらっ子である4歳の妹ラモーナに困り果てる様子が何とも愉快に描かれます。
そんな妹につくづく困っているビーザスの物語が、ヨガとどうつながってくるのでしょうか。皆さんと考えていきたいと思います。
名作と名訳
「ビーザスといたずらラモーナ」の著者であるビバリー・アトリー・クリアリーは1916年にアメリカのオレゴン州で生まれます。
図書館司書として働いている時、子ども達の様子を見て、幼い頃自分が読みたい本がないと不満だったことを思い出します。
そこで、図書館を訪れる子ども達と、幼い頃の自分の希望を叶えるような物語を自分で作ろうと思って書いたのが、「がんばれヘンリーくん」。この本は、1950年に出版されます。
その後、1955年に、ヘンリーの友達であるビーザスを主人公にした「ビーザスといたずらラモーナ」を出版。それから、ヘンリー君シリーズを次々に書き、大好評を博しました。
日本に「がんばれヘンリーくんシリーズ」が紹介されたのは196
やはり児童図書館員と活躍していた松岡享子さんによる名訳で、日本の子ども達に読まれることとなりました。
「くまのパディントンシリーズ」や、「うさこちゃんシリーズ」、「おやすみなさいフランシス」や、「しろいうさぎとくろいうさぎ」など数々の名訳を世に送り出してきた松岡享子さんの温かい日本語で、ヘンリー君やビーザス、ラモーナ達の物語を楽しむことができます。
とんでもないいたずらっ子ラモーナ
主人公は、9歳のアメリカ人の女の子ビアトリス・クインビー。
妹のラモーナが、まだよく舌の回らないころにビーザスと呼んだので、みんなからビーザスと呼ばれています。
そんなビーザスの何よりの悩みは、4歳の妹のラモーナです。
ラモーナがどんなにやりきれない妹なのか、冒頭から流れるように説明されています。
四歳の妹が、なぜそんなに大きななやみのたねかといえば、このラモーナが、なんともかんとも、あきれるようなことばかりしたからです。ストローでレモネードを飲めば、ストローを力いっぱいふいて、どうなるかためしてみる。庭でフィンガーペイントを使って遊べば、指についた絵の具を、となりのネコにこすりつける。とにかく、そういうことばかりするのです。
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
ラモーナは読んでいるだけでうんざりするくらい、次から次にイヤになることばっかりやらかします。
ラモーナのいたずらぶりを読んでいたら、誰だってビーザスに同情せずにはいられません。
ビーザスがししゅうをしている間、ラモーナは、口にハーモニカをくわえて、居間を三輪車でぐるぐるまわっていました。三輪車のハンドルをにぎるのに両手がいるので、1つの音しかふいたりすったりできません。それは、まるで、ハーモニカが、「やーだー、やーだー、やーだー、やーだー」とくりかえしくりかえしうなっているように聞こえました。
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
おまけに、ラモーナは目をつぶって三輪車をこいでテーブルに激突させたりするのですから、やりきれません。
そこで、ビーザスはラモーナを図書館に連れていくことにします。
図書館に連れて行って、何か本を選ばせ、それを読んでやったらまだ大人しくするだろうと思ったからなのです。
ビーザスは小さいいたずらっこのラモーナを苦労して図書館に連れて行き、どうやら本を借りるのですが、ラモーナときたらまったくあきれるじゃありませんか。
ビーザスのカードで借りた絵本に、どのページにも、むらさき色のクレヨンでヘンテコリンなグネグネをいっぱい書きこんでしまったんです!
しかも、ラモーナときたら、それをちっとも悪いことをしたと思わずに、大いばりで言うんです。
「これ、あたしの本よ。あたしの名まえ書いちゃったもん」
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
ビーザスは泣き声でお母さんに訴えます。
「それ、わたしのカードでかりたんだから、わたしの責任なのよ。もう、図書館の本、かしてくれなくなるわ。そしたら、わたし、読むものがなくなっちゃうじゃない。みんなラモーナがわるいのよ。ラモーナは、いっつも、わたしがたのしみにしていることをぶちこわすんだから、ひどいわ、ひどいわ!」
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
これだけでも、ラモーナがどんなにやりきれない妹なのかよく伝わってきますね。
ラモーナなんて大嫌い
そんな具合に、ラモーナのいたずらはまだまだ続き、ビーザスが楽しみにしていることをことごとくぶち壊しにしてしまいます。
ビーザスが家に遊びに来てくれたヘンリーとチェッカーをしていたら、チェッカー盤に三輪車をぶつけてコマをひっくり返したり。
ヘンリーの犬のアバラーをトイレに閉じ込めて出られないようにしてしまったり。
地下室に隠れひそんだと思ったら、地下室にあった大量のりんごを全部1口だけかじって、おいしいりんごをダメにする。
おまけに、ビーザスのお誕生日の日には、お母さんがビーザスのために焼こうとしたバースデーケーキをめちゃくちゃにしてしまいました。
バースデーケーキの材料が入ったボウルの中に、家じゅうのたまごをからごとつっこんで、ミキサーをかけてしまったのです。
お母さんがあわてて材料を買いに走り、もう1度バースデーケーキを焼き直していると、今度は、ケーキを焼いているオーブンの中に自分の人形をつっこんでしまいました!
ラモーナときたら、どうでしょう。バースデーケーキを1つだめにするだけでもわるいのに、2つも……。世界じゅうさがしたって、同じ日に、バースデーケーキを、2つも妹にだめにされた人なんて、おそらくほかにいないでしょう。
ビーザスは涙のあとをゴシゴシこすりつづけました。考えれば考えるほど、こんな妹をもったことが悲しくなりました。もし、ラモーナが、もうちょっとでも大きかったら、また事情はちがっていたでしょう。けれど、年がうんとはなれているのですから、これからさきも、ラモーナはずーっと……そう、鼻つまみでいるにちがいありません。このとき、ビーザスの心に、また、あのおそろしい考えがうかびました。ラモーナが、リンゴを全部かじったり、お手あらいに犬をおしこんだりしたときにうかんだ、あの考えです。どうにかして、そのことは考えまいとしましたが、だめでした。ビーザスには、どうしてもラモーナがすきになれないときがありました。そして、今がそのときなのです。きょうだいは、おたがいになかよくしなければいけないことは、だれでも知っています。おかあさんとビアトリスおばさんを見てごらんなさい。
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
ビアトリスおばさんは、おかあさんの妹なのですが、とてもステキなのでビーザスは大好きで憧れていました。
そして、ビアトリスおばさんとおかあさんは、お互いにとても仲良しなので、姉妹って本当はあんな風でなければならないんだわ、とビーザスは落ち込んでしまいます。
そして、妹がきらいなんて自分はなんというおそろしい女の子だろうと、暗い気持ちになってしまいます。
全ては変わる
ビーザスは、妹がきらいなんて自分はなんておそろしい女の子だろうということを、おとうさんにも、おかあさんにも言えずにいました。
ところが、とうとうビアトリスおばさんに何を悩んでいるのか聞かれてしまい、打ち明けることになってしまいます。
すると、意外なことがわかりました。今はあんなに仲良しそうなおかあさんとビアトリスおばさんですが、子どもの頃はしょっちゅうケンカばかりしていたというんです。
しかも、ビーザスが大好きで憧れていたビアトリスおばさんは、小さい頃、ラモーナみたいにいたずらばかりするとんでもない子だったって言うんです!
ビーザスはものすごくビックリして思います。
ビアトリスおばさんだって、小さいときは、ラモーナと同じくらいひどかったんじゃないの、とビーザスは思いました。それなのに、今はどうでしょう。こんなにいい人になってるじゃありませんか。ビーザスは、信じられない気持ちでした。それに、小さいときけんかしたのに、おかあさんとおばさんは、今はとてもなかがよくて、小さいときにしたことをおもしろがっています!
(略)そうだとすると、もしかしたら自分だって、大きくなったら、ラモーナが、バースデーケーキの中へたまごのからを入れたことや、もう1つのケーキを人形といっしょにオーブンに入れて焼いたことを、おかしいと思うようになるのかもしれません。
(「ビーザスといたずらラモーナ」
そうです。兄弟や姉妹の関係というものは、大人になったら変わっていくものですよね。
『ヨガ・スートラ』では、この世界の全てのものは絶えず変わっていくと書いてあります。
決して変わらない永遠のものはプルシャだけであり、その他のものはどんなものだって絶えず変わっていくというんです。
姉妹や兄弟の関係は変わります。家族関係だって、友達関係だって、人間関係というものは、年月がたつと変わります。
人の身体も変わります。あらゆる生物、鉱物は全て変わります。町も時代と共に変わりますし、社会だって変わります。
変わらないものはないんです。プルシャ以外、どんなものでも変わっていくんです。
ビーザスは、大きくなったら、ラモーナとの関係性も変わるかもしれないと思ってホッと安心しました。
ビーザスは、なんだかほっとしたような、うれしいような気持ちで、胸がいっぱいになりました。いつもいつもラモーナがすきじゃないからってそれがなんでしょう? そんなこと、ちっともかまやしない。ほかのきょうだいだって、みんなそうなんです。
(「ビーザスといたずらラモーナ」)
やりきれないことっていっぱいありますよね。ストレスだってたまりますよね。
もうつらくて耐えられないと思うこともたくさんあるかもしれませんが、でも、それは永遠に続くわけではないと『ヨガ・スートラ』でも言っています。
そのうち、きっと変わります。
なぜって、プルシャ以外の全てのものは、絶えず変わっていくのですから。
だから、今はつらくても騒がず、静かに息を吐いて落ち着いていなさいと、ヨガでは言われるのです。
この状況はきっと変わると信じて待っていれば、明るい希望が見えてくるはずですから。
「ビーザスといたずらラモーナ」をはじめ、ヘンリーくんシリーズは子ども達の気持ちが、驚くほど鮮やかに活き活きと描かれます。
どうして、著者のクリアリーは、こんなにも、子どもの気持ちがわかるのだろうと驚いてしまうくらいです。
ヘンリーみたいな少年の気持ちも、ビーザスみたいな姉の気持ちも、ラモーナみたいなどうしようもないいたずらっ子の妹の気持ちまで、クッキリとこちらに伝わってくるように描きます。
だから、ヘンリーくんシリーズは時代を超えて、国を超えて愛されるのです。
子どもというものは、いつの時代も、いつの国も変わらないものだからです。
「ビーザスといたずらラモーナ」をはじめ、ヘンリーくんのシリーズを皆様、ぜひ、手に取って読んでみませんか。
子供時代の思い出がきっと活き活きとよみがえる懐かしい時間になることと思います。