皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、石井桃子さんの「ノンちゃん雲に乗る」を取り上げたいと思います。
石井桃子さんといえば、「くまのプーさん」や、「たのしい川べ」、「ピーターラビットの絵本」など、誰にでもおなじみの名作を素晴らしい翻訳で日本に紹介してくださったことで非常に有名ですよね。
この方がいてくださらなければ、今の日本の児童文学はまるで違ったものになっていたでしょう。
名翻訳家として有名な石井桃子さんですが、ご自身でも優れた物語を書かれており、「ノンちゃん雲に乗る」は、その中の1つです。
戦争中に書かれ、戦後発表された「ノンちゃん雲に乗る」は、多くの人に感銘を与え続けてきました。
そんな「ノンちゃん雲に乗る」を、皆さんとともに読んでいきたいと思います。
石井桃子さんと「ノンちゃん雲に乗る」
石井桃子さんは、1907年埼玉県に生まれます。
女子大時代から、芥川賞や直木賞、菊池寛賞などの創設にかかわった菊池寛のもとで外国雑誌や原書を読んでまとめるアルバイトをしていた石井さんは、1933年「プー横丁にたった家」と出会って感銘を受け、プーを少しずつ訳し始めます。
新潮社に勤務した後、1940年からは白林少年館出版部を開設し、様々な児童文学を日本の子どもたちに送ろうと奮闘します。
紙不足に悩みつつ、「楽しい川べ」、「くまのプーさん」などを翻訳して出版しますが、時代は太平洋戦争に突入し、閉館を余儀なくされます。
その後、1942年になり、初めての創作童話として手がけたのが「ノンちゃん雲に乗る」でした。
戦後、岩波少年文庫の企画編集に携わり、日本の子供たちによりよい児童文学を届けるために奮闘します。
そんな中、1951年に「ノンちゃん雲に乗る」が出版されます。
この作品は、第一回芸術推薦文部大臣賞を受け、ベストセラーとなって、1955年には映画化もされました。また、2008年には、「ノンちゃん雲に乗る」をモチーフにした楽曲も発売されています。
戦争中に描かれたとは思えない古びない新鮮さをたたえた「ノンちゃん雲に乗る」は、今の時代に読んでも感銘を受ける名作です。
水の中の空の世界に落ちたノンちゃん
主人公のノンちゃんは、8つになる女の子。
物語は、ノンちゃんが、わあわあ泣いているところから始まります。
ノンちゃんという8つになる女の子がただひとり、わあわあ泣きながら、つうつうはなをすすりながら、ひょうたん池のほうへむかって歩いておりました。
(「ノンちゃん雲に乗る」)
ノンちゃんは、決して泣き虫の子というわけではありません。けれども、その朝はどうしても泣かなければならないわけがあったのです。
そのわけとは、こういうことでした。
ノンちゃんの家族は、もともと東京都のど真ん中の四谷に住んでいました。
けれども、ノンちゃんが赤痢にかかってしまった時、家族は田舎にある氷川様というお社のそばの家に引っ越したのです。
それ以来、ノンちゃんは1度も東京に連れていってもらえませんでした。
けれども、2年生になったら身体も丈夫になるだろうから、東京に連れていってあげると、お母さんは、ノンちゃんに約束していたのです。
ところが、ある春の朝、ノンちゃんが目を覚ますと、お母さんと兄ちゃんがいなくなっていて、家にはおばちゃんとお父さんしかいませんでした。
ノンちゃんが眠っている間に、お母さんと兄ちゃんは、東京へ行ってしまったのです。
2年生になったら東京へ連れていってもらえると思って楽しみにしていたノンちゃんは、お母さんに騙された!という怒りと悲しみで泣いてしまったというわけです。
お父さん、お母さん、兄ちゃん、おばちゃん、みんなしてノンちゃんを騙していたんだという怒りと悲しみで泣いているのです。
ノンちゃんの両親はいい人達で、今までこんなことは1度もしたことはありませんでした。
ノンちゃんの人格をちゃんと認めて、ノンちゃんに何も言わずに、兄ちゃんだけ得をするなんてことはありませんでした。
けれども今回は、ノンちゃんが2年になったとはいえ、まだ東京は危ないだろうというお父さんの判断により、お母さんと兄ちゃんだけ黙って、東京に行くことになったのです。
それまで両親の深い愛に包まれていただけに、今回の裏切りは、ノンちゃんをいっそう傷つけてしまいました。
ノンちゃんは泣きながら、1人、ひょうたん池へ向かいます。
そこで、もみじの木に登り、池の中を見下ろします。
今日は空が晴れ渡っていて、池の水面には空が綺麗に映っていました。まるで、本物の空が水の底に広がっているみたいです。
ノンちゃんは、池の中の空をのぞきながら、もみじの木の上で、空を飛ぶ夢のことや、兄ちゃんとの対話を思い出しているうちに、うっかり手をすべらせて、池の中に落ちてしまいます。
パシャン! どうん!
白いつめたいものが、ノンちゃんのまわりにとびちりました。
あ、苦し、おかあさん……と思うまもなく、うっと胸をおされ、せまい穴をむりにくぐりぬけるような感じがして……つぎの瞬間、ノンちゃんのからだは、ふわッと空中にうかんでいました。
(「ノンちゃん雲に乗る」)
気がつくと、ノンちゃんは、まぶしい青い空の中を夢中になって泳いでいる自分に気がつきます。
ノンちゃんが、一生懸命、空を泳いでいくと、大きな雲に乗って「高砂のじじばばのじじ」にそっくりな白ひげのおじいさんに救い上げられます。
ビックリすることに、おじいさんの雲の上には、ノンちゃんのクラスメイトでいじめっ子の長吉も乗り合わせていました。
他にも大勢の人が一緒に雲に乗っていたのですが、ノンちゃんは、そんなたくさんの人たちの前で、おじいさんに質問されるがままに、身の上話をすることになり、お父さんや、お母さん、兄ちゃんのエピソードなどを語ります。
この身の上話と家族の話こそがこの本の中心になっていてものすごく面白いのですが、その内容についてはとても書ききれないので、ぜひ、実際に本で読んでみて下さい。
ウソの試験
ところで、ノンちゃんは、自分のことを話す時に、親に孝行です、とか、友達に親切です、とか、先生のいいつけをよく守ります、など、自分がどんなに良い子であるのか話します。
実際、ノンちゃんは優等生で、勉強も良く出来るし、漢字も相当たくさん知っているし、成績はいつも超優秀で、何でも1番。クラスの級長を務めるようなしっかり者なのです。
けれども、そんなノンちゃんに、おじいさんは意外にもこう注意します。
「そういう子は、よくよく気をつけんと、しくじるぞ!」
(「ノンちゃん雲に乗る」)
そんなことを言われたのは初めてなので、ノンちゃんはものすごく驚いて不安になってしまいます。
そんなノンちゃんにおじいさんは、こう教えてくれます。
「人にはひれふす心がなくては、えらくはなれんのじゃよ。勉強のできることなど、ハナにかけるのは、大ばかだ。ひれふす心のない人間は、いくら勉強ができても、えらくはなれん」
(「ノンちゃん雲に乗る」)
おじいさんとそんな話をしたり、ノンちゃんの家族の話をしたりしているうちに、ノンちゃんは、家が懐かしくなって帰りたくなってしまいます。
ところが、おじいさんは、ノンちゃんが家に帰るためには試験が必要だと言います。
その試験というのが何と、うまいウソをつくという試験なのです。
ところが、ノンちゃんはどうしてもウソがつけません。
ウソさえつけたら家に帰れるというのですから、必死でウソをつこうと思うのですが、何ひとつ、ウソが思いうかびません。
おじいさんは、ウソをついちゃいけないと先生が言ったのか?お父さんやお母さんが言ったのか?いったい、だれに言われたんだ?とノンちゃんに迫り寄ってきます。
追い詰められたノンちゃんは必死に考え、だれにも言われたんじゃないとわかります。
「だれもいやしない! だれもいやしない。あたしがいやなんだ……。あたしが、うそきらいなんだァ……」
(「ノンちゃん雲に乗る」)
ウソがつけないからにはもう2度と家に帰れないと覚悟するノンちゃんですが、この答えでノンちゃんは試験に合格し、家に帰ることができます。
気がついた時、ノンちゃんは自宅に寝かされていました。
ノンちゃんは池の浅いところに落ち、気を失っていたところを助けられ、家に寝かされていたのです。
翌日からノンちゃんは元気になるのですが、さて、この物語のどこがヨガだと皆さんは、お思いになりましたか?
雲の上の視点
ノンちゃんは、雲の上で大冒険をしたわけではありません。おじいさんに、自分の身の上話を語って聞かせているだけなんです。
でも、それこそがとても大切なのではないでしょうか?
雲の上のおじいさんに自分のことを話して聞かせることで、ノンちゃんは、今までずっと暮らしていたノンちゃんとお父さん、大好きなお母さん、いたずらっこの兄ちゃんと犬のエスのいる自分と家族の世界を、離れた視点から見つめ直すことができたわけです。
それは、雲の上のおじいさんと同じ視点から見つめ直したと言ってもいいでしょう。
雲の上からの広い視点に立って、改めて、自分と家族の世界を見つめ直してみた時、ノンちゃんは、新しい発見をします。
例えば、先ほどちょっと出て来ましたが、今までノンちゃんは、自分のことを良い子だと思い、それがとてもエライことだと信じて疑いませんでした。
ところが、おじいさんと会話しているうちに、自分が良い子で、良く勉強できることは本当にそんなにえらいことなのかと不安になってきたりしたわけです。
また、いつもノンちゃんをいじめる兄ちゃんのことを話しているうちに、兄ちゃんは、本当にノンちゃんにいじわるばかりするイヤな兄ちゃんなのかと疑問がわいてきたりするわけです。
良い子で勉強できるのはとてもエライことなんだとか、兄ちゃんはノンちゃんをいじめるイヤなやつだとか、ノンちゃんが当たり前と思い込んでいた数々の思い込みや常識の縛りが、雲の上からの広い、広い視野に立つことで解き放たれ、ノンちゃんは新たな視点で、自分の世界を見つめ直すことができました。
自分を見つめ、縛りから自由になることがヨガの大きな目的なのですから、雲の上のおじいさんに自分の話をし、縛りから自由になって雲の上の自由な視点で、自分の世界を見ることができたノンちゃんは、まさしく、雲の上でヨガをしていたと言っても良いのではないでしょうか?
池に落っこちたノンちゃんは、後からのお母さんやおばさんの話から、きっと危ないところだったんだろうと推察できます。
池に落っこちて雲の上の世界に行ったノンちゃんは、言ってみれば、臨死体験をしたと言っていいでしょう。
死が近くなった時、人は今ここに生きているということは当たり前のことなんだという縛りがほどけ、生きている奇跡に気がつくのではないでしょうか。
今、ここに生きている自分、自分を取り巻く世界がとても大切なものなんだという当たり前だけど、なかなか気がつかない新しいことに気がついた時、人は持とうと思わなくても自然に、ひれふす心が生まれ、生きていることに深く深く感謝したくなるのではないでしょうか。
雲の上の体験をくぐりぬけてきたノンちゃんは、もう前のノンちゃんではありません。ひれふす心を立派に持った成長したノンちゃんです。
そんなノンちゃんが、立派に成長していくんだろうという様子まで書かれて、この本は終わっています。
「ノンちゃん雲に乗る」は、戦争中に書かれたものです。
毎日が死と隣り合わせで、いつ死んでしまうかわからないという戦時下の世界では、当たり前の日常はとても輝いて見えたのではないでしょうか。
そんな中で書いたからこそ、当たり前の平凡な、でも、とても心温まるノンちゃんの家族の世界をこんなにも心に響くように描けたのかなと思えてなりません。
8つのノンちゃんが生きているのは戦争前の世界という設定になっていますし、この物語が書かれたのは太平洋戦争の真っ最中のことです。
確かに古い世界だなと思わせる箇所も出てくるのですが、それでもやっぱりノンちゃんや、ノンちゃんのお父さんやお母さん、兄ちゃんやエスに夢中になってしまうのは、この物語が、家族という時代を超えたものを描いているからではないでしょうか。
古いはずなのに、ちっとも古いと感じさせないみずみずしさをたたえた「ノンちゃん雲に乗る」。1度、読んでみませんか。
世界で戦争が終わらない今の時代だからこそ、温かいもの、重いもの、いろんなものを感じるかけがえのない時間になると思います。