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どうしてヨガを練習すると、自由を感じることができるのでしょうか。
それは、今まで抱いていた束縛から解放されるからですが、執着を手放すために大切なのが真実への知識だとヨガ哲学では考えます。
ヨガを練習することで、真実を見る力が養われると信じられており、『ヨガ・スートラ』では、そのための7つの真実の知識について説かれています。
真実を知ると苦しみから解放される
教典ヨガ・スートラによると、生きる苦しみの原因は無知(真実を知らないこと)、または、物質世界への執着であると考えます。
そのような束縛から自由になるための手段は弁別智、つまり、正しく物事を識別する力です。
正しく物事を捉えられるようになると、7つの真智が与えられるようになります。
弁別智を得た人には、最高の段階にある7通りの真智が生ずる(ヨガ・スートラ2章27節)
この7つの知識を得るための方法として、ヨガ・スートラでは8支則を説きます。
ヨガの実践を行うのは、真実を知るためなのですね。
何かを得る必要はない。知ることが必要
正しい知識を得ることはヨガではとても大切です。
例えば、ヨガの教えにサントーシャ(知足)というものがあります。
サントーシャ、「足るを知ること」とは、満足することでもあります。
私たち人間には向上心があるので、「すでに有るもの」よりも「無いもの」に意識が向きやすくなっています。
友人と比べた時に、自分には持っていないものを相手が持っていると、それだけで自分が惨めな存在に思えてしまいます。相手が持っていないものを自分が持っていても、そこに気がつくことができません。
たとえ、他の人よりも多くを持っていたとしても、自分に無いものを見つけると、それだけで苦しくなってしまうことがあります。
こんな時、欲しいものを手に入れることができれば一時の喜びを得ることはできますが、また無いものを見つけると、同じ苦しみを繰り返してしまいます。
大切なのは、無いものを手に入れることではなく、今すでに与えられていることに気がつくことだとヨガでは説きます。
ヨガの解脱につながる最高の知識7つ
それでは、ヨガを実践することによって得られる7つの知識を見ていきましょう。
7つの知識はヨガの実修が進むにつれて1つずつ現れてきます。
これらは、とても深い瞑想の中から現れる知識なので、後半はとても難しいです。
私は知るべきことを知った。もはや知るべきものはない。
通常、私たちは外から知識を得ようとします。
ヨガを始めたばかりの多くの人は、新しい知識を得るために沢山のワークショップを受けたり、先生の言葉を一語一句聞き逃さないようにしたりと必死に勉強すると思います。
しかし、ヨガを続けていくと、真実は自分の内側にあるのだと気がつくようになります。
知識への渇望感が消えて、心の不満感が消えてきます。
除去すべきものの原因は消えた。もはや除去すべきものはない。
苦しみの原因が消えたことに気がつくことが2つ目の真智です。
ヨガ・スートラでは、ヨガとは未来の苦を消し去るものだと説きます。
すでに生まれてしまった苦しみを無かったことにすることはできません。
しかし、これから現れる苦しみの原因が消えたことを認識できれば、あらゆる不安から解放されます。
止滅三昧によって、除去は直観された。
苦しみが消え去ったことを直観することができた時、完全な解放を感じることができます。
この真智は、心の働きが完全に死滅されたサマーディ(三昧)によって体感することが可能です。
自我を喪失したサマーディによって、ブッディ(知性)が輝き、あらゆる真実を知る力が得られます。
弁別智からなる除去手段は直観された。
ブッディ(知性)が輝き、真実を知る能力が発揮できることにより、プラクリティ(物質の根本原理)の役割は終わります。
ヨガ哲学においてプラクリティの役割は、真実を知るためだと考えられます。
目的である真実に到達したことにより、すべての役割は果たされたことを知ることができます。
ブッディはその任務を果たし終えた。
4番目の真智により役割が果たされたことを理解したブッディ(知性)は、もはやするべき事(義務)は何もないと悟ります。そして、完全な自由を得ることができます。
私たちは常に「これをすべき」「こうあるべき」というものにとらわれがちですが、それは心を束縛しています。
3つのグナはブッディと共にプラクリティの中に没入していく。
6つ目の段階では、真実を知るという役割を終えたブッディ(知性)が、完全にプラクリティ本体の中に没入していき、もはや生起することはありません。
これを理解するためには、サーンキャ哲学の知識が必要です。
私たちの心は、プラクリティと呼ばれる物質の根本原理から生じています。
このプラクリティには3つのグナ(要素)が含まれており、その3つのグナの組み合わせにより、物質世界のあらゆる物が作り出されます。それをプラクリティの開展(進化)と呼びます。
このプラクリティの役割は、真実の知識、つまりプルシャ(真我・本当の自分)を認識することです。
ヨガによって役割を完全に果たしたブッディ(知性)、および3つのグナはやることがなくなり、自然とプラクリティの中に没入していきます。
プルシャはグナとの結合を超脱し独一絶対な存在となる。
プラクリティ(物質の根本原理)が働きを終えたことにより、プルシャ(真我)は自分自身を認識することができ、本来の姿、つまり完全に独立した存在に戻ることができます。
これがヨガで目指す真我独存の状態です。
ヨガであらゆる微細な心の働きも止めていくことによって、初めてプルシャ(真我)は完全に自由な状態に到達することができます。
ここで紹介した7つの真智のプロセスは、真実に気がつくことで物質世界からの解放が可能だと考えられています。
ヨガ・スートラは心のヨガですが、それが直接的に解脱につながります。
自分の内側の知識に意識を向けてみよう
かなり難しいヨガ・スートラの教えでしたが、ここで大切なことは、1番目の「自分はすでに知っている」という気づきです。
何かを得るために、常に外からの情報に頼る必要はありません。
すでに私たちには必要なものが全て与えられていて、それに気が付けるかが大切です。
特にヨガでは自分自身について学びます。
「本当の私とは?」という質問を他人に聞いても本当の答えは見つかりません。
「あなたってこういう人だよね」と、自分が気がついていなかった側面を教えてもらえることもあると思います。
しかし、それは外面上の自分であり「本当の自分はそうじゃない」「こんな側面もあるけれど表には出せない」と思っている部分もあると思います。
結局、最後には自分自身に向き合わないといけません。
ヨガの教えは地図のようなもの
ヨガ修行者にとって経典は地図のようなものです。
今回紹介した7つの真智は、ヨガの瞑想を行っていれば体験できるものです。
しかし、多くの修行者は、自分が正しい道を歩んでいるのか不安になることがあります。
そのためヨガでは、目的地がどこなのか、どの道を通っていけば安全に到達できるのかを経典で説いてくれています。