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日常生活で自分らしく生きるためにはどうしたらいいのでしょうか。
ヨガを練習しているのに、自分らしさが分からない。それは、自分に正直になれていないからかもしれません。
特に人前では、周囲に気を使いすぎて思ったことが言えない人も多いと思います。
そんな時、どうしたら自分らしさを見つけられるのかを考えてみましょう。
ヨガでは正直であることを大切にする
ヨガの教えにサティヤ(正直)というものがあります。
サティヤは「正直であること」または「嘘をつかないこと」であり、
ヨガでは、純粋で幸せな自分の本質を見つけるためのツールです。
正直であることは、直接的に純粋な自分に近づくために大切な教えです。
どうして嘘はいけないのか
ヨガでは、「清浄と不浄」という概念を重要視します。純粋であるほど人は幸福を感じやすく、自分自身の本質に近づくことができます。
しかし、不浄な状態は暗く、重たく、迷いがあり、苦しみにつながります。
嘘をつくことは、自分の内側に不浄なものを生み出す行為と考えられます。
悪気のない嘘でも避けるべき
悪気はないけれど、うっかり嘘をついてしまう経験は誰にでもあるでしょう。
自分の中に、悪意がなければ、それほど罪悪感はないかもしれません。
誰かを騙そうとしたり、陥れようとしたりしたわけではなく、説明が面倒だからと軽くついた嘘であっても、ヨガでは良くないと考えます。
ひとつ小さな嘘をつくと、その嘘を守るために次から次に嘘をつかなくてはいけなくなります。
友人との会話で他ごとを考えていて、急に「あなたはどう思う?」と言われるとドキッとしてしまいますね。
適当に「私もそう思う」と答えてしまうと、その後の会話で、一体何を意味していたのか理解しようと必死で考えながら、なんとかその場をやり過ごそうと頑張ります。
ずっと分かったふりをし続けないといけないと、急に大きなストレスに感じます。ほんの一瞬分からないと言えなかったことで、その日1日中ヒヤヒヤしていないといけないかもしれません。
分かるふりをしている時間が長くなるほど、罪悪感も大きくなってしまいますね。
嘘をついた理由が、たとえ自分のエゴや悪意でなくても、それが大きな不純性に育ってしまいます。
そのためヨガでは、小さな嘘であっても良くないと考えます。
人に気を遣って自分の意見が言えない時にどうする?
説明した通り、悪意がなくても嘘をつくことはよくありません。
しかし、実際の生活の中では、周囲の顔色をうかがって自分の意見が言いにくいという場合も多いでしょう。
しかし、それが本当に良いことなのか考えてみましょう。
自分と他者の利益が相反する時、例えば、自分と友人の行きたいお店が違うのに、いつも友人に合わせてしまっていたらどうなるのでしょうか。
1回や2回なら「○○さんが喜ぶのなら」と素直に思えていたかもしれませんが、だんだん回数を重ねるにつれて「○○さんはいつも自分の意見を通そうとする自分勝手な人、今日もまた自分のやりたいことしか言わない。」と感じるようになるかもしれません。
もしくは、「○○さんの行きたいお店に付き合ってくれたのだから、私の愚痴もちょっと聞いてほしい。」と、無意識に対価を求めてしまうこともあるでしょう。
もしかしたら、友人の立場では、「いつもお店選びをしてくれないから、私が選ばないといけない」と逆に負担になっている可能性もあります。
お互いに「自分が負担を背負っている」と感じていることは、実はとても多いです。
人間関係って難しいですね。
お互いに相手を思いやった行動が、実はお互いに重荷になっている場合が多々あります。
特に空気を読む人ほど、「以前こう言っていたな」という言葉を覚えていて、次回から負担にならないでスムーズに解決できるようにと、気を遣い続けてしまいます。
しかし、毎回同じは落とし穴です。
自分自身も最初は何も思わなかったことが、同じパターンが続くとモヤモヤとしてしまうことがありますね。
同じことは相手にも起こっている可能性があります。
違和感を覚えている時には、相手も同じように感じている可能性が高いです。
違和感が大きくなる前に、お互いの正直な気持ちをシェアできるようになると良いですね。
シーン別、日常で正直であるコツ
日常生活では、悪気がない小さな嘘がたくさんあります。
いくつかのパターンを見ていきましょう。
ついつい「大丈夫」と言ってしまう
本当は辛いと感じている時でも、つい「大丈夫」と言ってしまうことは多々ありますね。
絶対に休めない時というのも人生の中ではあると思います。
しかし、疲れていても大丈夫だと思い込んでしまうと、その状態が当たり前になってしまいます。
継続的に苦しい状態にいれば、いつか限界が来た時に長期の休養が必要になり、かえって周囲に迷惑をかけてしまいますね。
そもそも自分が大丈夫でないことに気がつけないほど余裕がない人もいます。
そんな時には、自分自身が「大丈夫」と思っていても無意識に嘘をついてしまいます。
後から体調を崩して周囲に「辛かったら言ってほしい」と懇願されても、自分自身では分からないのですね。
日頃から自分自身に意識を向ける時間を作るようにしないと、知らずに自分にも嘘をつき続けてしまっています。
相手を傷つけたくなくて嘘をついてしまう
人はとても繊細なので、ちょっとした言葉が相手を傷つけてしまうことがありますね。
また、○○ハラスメントという言葉が増えたので、「これを言ったら相手を傷つけるかもしれない」と気を遣いすぎる機会も増えたと思います。
失敗を回避するために言いにくいことを言わないことで、とても表面的で希薄な人間関係になってしまうこともないでしょうか。
例えば体臭が強い人に、それを指摘することはとても難しいと思います。
しかし、周囲の人全員が気を使い続けた結果、いつまでも本人が気づくことができなくて、ずっと改善ができないことがあります。
ヨガ哲学では、相手を傷つける真実は、わざわざ言わない方がいいと考えることが主流ですが、場合によっては、その瞬間相手にとってネガティブなことも言ってあげることが優しさになる場合があります。
怒りの感情もぶつけるべきか
サティヤ(正直)は、感じたことをなんでも口に出すことではありません。
怒りなどの強くネガティブな感情が湧いてきた時に、それを安易に周囲にぶつけるのは思いとどまった方がいいでしょう。
怒りの感情はとても強いので、思考や知性を支配してしまいます。
例えば、待ち合わせに遅刻されたことに怒りが湧いた時、その約束が破られたことだけではなく、今までの言動から自分がどれだけ不当な扱いを受けているのかと訴えたり、何か相手の落ち度を強調する要因がないか必死に探したりしてしまいますね。
すると、相手に罪悪感を抱かせること、相手を言い負かすことが目的になってしまいます。
しかし、それは本当の自分の願いだったのでしょうか?
本当は、楽しく時間を共に過ごしたかっただけですね。
相手と過ごせる楽しい時間が減ったことに悲しみを感じていたのでしょう。
ここで自ら相手との関係を悪化するような行動をしてしまっては、自分の願いに対しても矛盾してしまいます。
感情的になっている時には気が付きにくいですが、本当はどうして欲しかったのか、自分が何に対して悲しみを感じたのか、少し冷静になってから伝えたほうがいいこともありますね。
日常生活でサティヤを試みてみる
サティヤ(正直)を日常に取り込むということは、単純な実践ではありません。
実践をし始めると、簡単には本心が言えないこともあれば、そもそも自分の本心が何かが分からないことも多々あります。
そんな中でも挑戦をすることで、自分自身の心と深く向き合うことになります。
大切なのは、自分の心を知ることです。
うまくいかない時さえ、自分について学べる貴重な体験です。
いつ、何を話すのかには万人に共通する答えありません。だからこそ、しっかりと自分を知るところから始めたいですね。