みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、「リンゴ畑のマーティン・ピピン」を、取り上げたいと思います。
エリナー・ファージョンの作品は、このコラムでも以前取り上げましたけれども、この「リンゴ畑のマーティン・ピピン」が、1番有名なのではないでしょうか。
読んだことのあるという方も多いのではないかと思いますが、緑あふれるイギリスのサセックス州を舞台にしたファンタジーとロマンスが入り混じった恋物語が収められていて、何度読んでも、胸キュンしてしまいます。
今回は、そんなエリナー・ファージョンの胸キュン物語とヨガが、どのようにつながっているのか、みなさんと共に考えていきたいと思います。
戦地で戦うある兵隊のために
著者のエリナー・ファージョンは、1881年、ロンドンのストランド街で生まれました。
父は、ディケンズ風の小説を書く作家で、母は、アメリカ演劇史に名優として名をとどめているジョーゼフ・ジェファソンの娘でした。
そのため、ファージョンの実家は、両親の友達である作家、詩人、画家が自由に出入りする特別な雰囲気であったと言います。
ファージョンの受けた教育は自由で、学校には行っていませんでした。そのため、ファージョンは、家の中にあふれる本に読みふけり、自由にのびのびと育ちました。
16歳の時から、音楽家の兄の作曲した歌詞を書いたり、新聞や雑誌などに詩や小説を投稿して本を出版したりもしていたファージョンは、1914年、第一次世界大戦がはじまった年に、ある手紙を受け取ります。
それは、フランスで戦っていたイギリスの飛行隊ハスラムという若い軍人からの手紙で、
ファージョンが雑誌に載せていた詩に、戦地でいつも慰められているということを綴ったものでした。
ハスラムは、戦争に行く前はサセックス州で校長先生をしていたのですが、サセックス州は、ファージョンも住んだことのある大好きな土地でした。
またロンドンでの空襲が激しくなると、サセックス州に母親と共に移り住み、実際にそこで暮らしもしたのです。
そこで、ファージョンは戦地の彼のために、サセックスを舞台にした物語を書いて、手紙で送るようになりました。
第一次世界大戦が終わった3年後、ハスラムに送った物語が1つにまとめられ、「リンゴ畑のマーティン・ピピン」として出版されました。
こうして、1人の人を喜ばせるために書かれた物語は、世界中の人を喜ばせることになったのです。
マーティン・ピピンが語る恋物語
作品の舞台は、先ほどから書いている通り、イギリスのサセックス州。
マーティン・ピピンという旅の男が、悲しげに畑を耕しているロビン・ルーという男を見かけます。
マーティンは、男に悲しげにしている理由を問いただします。
すると、恋が原因で、悲しげにしているということがわかりました。
ルーの恋人であるジリアンの父親が、2人の結婚に大反対して、ジリアンを小屋に閉じ込めてしまったというのです。
ジリアンの閉じ込められている小屋のまわりには、7人の男ぎらいの娘が見張っていて、小屋のカギを持っていました。
そのため、ジリアンは決して小屋から出られないし、ルーは決して小屋に近づけないので悲しんでいるのだというのです。
マーティン・ピピンは、ルーのためにジリアンを救おうと思い立ちます。
そこで、ジリアンの閉じ込められている小屋のまわりで見張っている7人の男ぎらいの娘たちのもとへ出かけていき、彼女たちに1晩ずつ恋物語を聞かせて、むすめ達の頑なな心をとかしていきます。
そして、ついにむすめたちと仲良くなったマーティンは、小屋のカギをもらって、ジリアンを救い出すのです。
彼女たちに聞かせる恋物語が作品の中で大きく取り上げられており、これこそが、この作品の魅力の1つとなっています。
ここでは、その中の1つ「夢の水車場」をご紹介しましょう。
夢の水車場
「夢の水車場」の主人公は、水車場に住む17歳のむすめヘレン。
彼女の住む製粉所は、灰色の石で作られた、まるで牢屋のように陰気な建物だと書かれています。
ヘレンの母親は亡くなっており、製粉所を営む父親が1人いるだけなのですが、その父親というのが非常に腹黒く、楽しさを嫌う男でした。
そして、ヘレンが製粉所の外に出ることを許さず、1日中彼女をこき使っていました。
ヘレンは製粉所という牢屋の中で、父親の召使のように絶えず働いて暮らしていたのです。
そんな彼女の楽しみは、石うすのそばにそっと立って、石うすが小麦をひく音に耳をすませてみることでした。
石うすの音がまるで物語を語っているかのように、ヘレンには聞こえてくるのです。
そうして、石うすの音を聞きながら夢を見るのが、ヘレンの唯一の喜びの時間でした。
そんなある日、製粉所の戸口をたたく音が聞こえて来ます。
戸口を開くと、そこにいたのは、ヘレンよりも3つほど年上の船乗りの若者でした。
手には、穴が1つあいている帽子をもち、船乗りの着るメリヤスシャツのみずぼらしいのを着、そのはだけたえりから、茶色にやけたのどが見えた。へレンがドアをあけたとき、若者は口笛をふいていた。しかし、ドアがひろく開くと、口笛をやめ、すばやい、だが、無造作な一べつをヘレンにくれた。
「パンをすこしもらえるかね?」かれは聞いた。
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
ヘレンは、その若者にパンと7本の小麦の穂を彼に渡します。
パンはすぐになくなってしまうけれど、小麦は長持ちして、ひもじい時にとても役立つからというのです。
若者はお礼に美しい貝をくれ、去っていきました。
ヘレンは、貝を胸に押し当てて、石うすの音に耳をすませます。そして、石うすの音を聞きながら、貝をくれた船乗りの若者と自分についての夢を見るようになるのです。
夢の中で若者とヘレンは、最初の出会いについて語り合います。
「わたしの若衆!
あんなにふいに、あなたがやってくるなんて、なんというふしぎなことだろう。ドアをあけるまえ、わたしは、さまざまなことを想像しながら、立っていた……。でも、どうして、あなたを想像できたろう。あなたも、むこうがわで、いろいろなことを考えた?」
「いや、あまり。おれは、いじわるばあさんでも出てくるかと思った。おまえさんは、どんなことを考えたのだ?」
「たくさんの、ばかばかしいことを。王さまだの、騎士だの、いろいろな女のひとのことまで。でも、あなただった!」
「そして、おまえさんだった!」
「もし、わたしが、いじわるばあさんだったら?」
「もし、おれが、王さまだったら?」
「でも、あなたは、わたしの若衆だった」
「そして、おまえさんも…おれのむっつりやのむすめだった」
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
夢の中の若衆とヘレンは、恋人同士でした。夢の中の2人は恋の思いを語り合います。
「「あなたは、わたしをよく見ました?」
「よく見たのがわからなかったのか?」
「いつ見ました?」
「おまえさんが、ドアをあけるが早いか」
「何を見ました?」
「いままで見たこともなかった美しいものを」
「わたし、そんなにきれいじゃないわ…きれい?」
「夜の当直のとき、いつもおまえさんのことを夢みたものだ。おれは、『夜』のなかから、あれこれをつなぎあわせて、おまえさんをつくりあげた…白い月の光、黒い雲、それから星。そして、ときには、最後の夕やけ雲を、おまえさんのくちびるにとっておいたりした。そして、風がしずかに吹くとき、その音をおまえさんの声に。海の動きは、おまえさんの動きだし、波の上がったり、下ったりは、おまえさんの息づかいだ。船にぴたぴたあたる水の音は、おまえさんのキスにした」
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
彼女は毎日、貝を胸にあて、石うすのそばにたって、若衆の夢を見るようになります。
時と共にますます暴力的になった父親のもとで孤独に働き続けるヘレンにとって、その時間だけが生きがいでした。
「時は一年一年とたってゆき、ヘレンは少女から若い女になり、やがて、その若さもすぎていった。しかし、かの女の目や心は、まだ少女のときのままであった。毎日の暮らしのなかで、少女の夢のほか、何もかの女にふれるものがなかったからだ」
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
やがて、父親は死んでしまい、彼女は自由になりますが、彼女は水車場に残り続け、石うすを回し続け、夢の音に耳をすませ続けます。
若者たちには、ヘレンが年とって見えなかった。かの女は、まだ一途さと強さを内にもち、時が、すべての人間にぬいこむ銀のししゅうは、かの女の場合、とくに美しく、若さに見すてられた若人たちが、失いがちな夢のなかに、いまだに生きるかの女を、他の者たちと区別して見せた。
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
そうした彼女のもとにある日、あの時、水車場の戸口をたたいた若者が、本当にやってきます。
初めて戸口をたたいて、ヘレンに貝をやった時から、20年の歳月が過ぎていました。
彼と彼女がどんな風に再会し、それからどうなったのかということまで、ここで語るのはやめにしておきましょう。
ぜひ、本で読んでいただくとして、そろそろ、この物語がどのように、ヨガと結びついているのか考えてみることにしましょう。
つらい時こそ夢を見る
ヘレンは夢見る人です。つらい境遇の中で、夢を見ることだけが唯一の生きがいでした。
そして、それがあったからこそ、いつまでも若々しくいられたのです。
様々なことがあった後、見事、ヘレンと本物の若衆が結ばれた後、マーティン・ピピンは次のように語っています。
「(彼らが死んだのは)ながい喜びの年月と、この恋人たちが、おたがいの胸のなかにいつも見いだしていた子ども心によって、つねに若くあった一生をすごしたあとの話だ」
(「リンゴ畑のマーティン・ピピン」)
「夢の水車場」だけでなく、マーティン・ピピンの恋物語の中には、どれも、夢見る人が出て来ます。
意地悪な羊飼いのおじいさんのもとで孤独に暮らす羊飼いの少年は、丘の上で羊と夢を見る時間だけが生きがいでした。
他の兄弟に比べて誇るところがない劣等感に悩まされている領主の青年は、いつか金色のバラを咲かせるという夢を生きがいにしている人でした。
かつてサセックスの王だった子孫の娘は、崩れ落ちた城跡に孤独に住み続け、貧しさに苦しみながらも、いつか祖先の栄光を取り戻すことを夢見ていました。
どの物語の主人公も、辛い境遇に置かれながらも夢見ているのです。
マーティン・ピピン自身、自分のことを「どうしようもない夢見病患者」だと言っていますが、それはファージョン自身のことでもあったでしょう。
そして、「リンゴ畑のマーティン・ピピン」が第一次世界大戦中に、戦地で戦う1人の兵士のために書かれたことを思う時、戦地という辛い境遇にいるからこそ、ほんのひととき、夢とロマンスの時間を過ごしてほしいという願いを込めて、ファージョンはこの物語を書き送っていたのかなと、私はそんな風に思うのです。
『ヨガ・スートラ』にも、つらい境遇にいる時こそ、楽しいものや美しいものや、素敵な物で心をいっぱいにして乗り越えなさいと書いてあります。
ファージョン自身も、ロンドンの激しい空襲や戦争というつらい現実があったからこそ、思いきりロマンチックで美しく、ファンタジックな物語を描いて、戦争を乗り越えようとしていたのかなと思えてなりません。
そしてまた、彼女がつねに子ども心…ヨガで言えば、サットヴァ心とも言えますが…それを持ち続けていたからこそ、サセックスという緑あふれる土地を舞台に、若々しいロマンスにあふれた恋のおとぎ話をつむぎ出すことができたのだろうと思うのです。
サセックスという緑あふれる土地で花開いたロマンスいっぱいの恋のお伽話を、石井桃子先生の名訳で読めるのは幸せです。
まだ読んだことがないという方はぜひ、読んでみて下さい!
きっと、ロマンチックな胸キュンの時間を過ごせることと思います。