開いた本から森が飛び出すファンタジーな世界

オランダとエストニアの民話から考える~時代を超えて受け継がれる真実~

皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。

今回は、世界の民話とヨガのつながりを考えてみようということで、オランダ民話「しあわせなふくろう」と、エストニア民話「みっつのねがい」を取り上げてみたいと思います。

民話とは、民衆の生活の中から生まれ、口伝えに語り継がれてきた物語のことを言います。

昔話とか、伝説のことですね。

いつ、誰が最初に語り出したのか誰にもわかりません。けれども、形を少しずつ変えながら、時代を超えて語り継がれ、愛されてきた物語が、民話というものです。

私達の遺伝子の中に組み込まれている物語といってもいいくらいで、だから、昔話や伝説を聞くと、私達は昔から知っていたような、とても懐かしいような、そんな気持ちになるのです。

さて、そんな民話とヨガは、どのようなつながりがあるのでしょう。皆さんと共に考えていきたいと思います。

民話とヨガ

白髭の老人が弟子たちに語りかける様子

冒頭でお話しした通り、民話は大昔から、人々の口から口に語り継がれてきた物語のことです。

そして実をいうと、ヨガというものは、その成り立ちが民話と大変似ているのです。

ヨガは大昔のインドで発祥したものですが、ヨガの発祥の歴史については、実のところ、ハッキリしたことはわかっていません。

インダス文明の有名な遺跡モヘンジョダロから、瞑想や安定坐などを連想させる出土品が出て来たことから、インダス文明の頃から、ヨガの修行は行われていたのではないかと推定されてはいますが、確定はしていません。

けれども、モヘンジョダロといったら紀元前2,500年頃から栄えてきたとされる都市ですから、それを思うと、紀元前からヨガが人々の間で伝わって来たのだということはわかりますね。

4世紀~5世紀ごろになると、パタンジャリという人物が、各地に伝わるヨガの教えを「ヨガ・スートラ」という本にまとめました。

それがヨガの経典の1つとされており、このコラムでも度々登場しますよね。

「ヨガ・スートラ」に出てくるたくさんの教えは、パタンジャリが考えたものではなく、すでにインド各地で口伝えに伝わっていたものだったのです。

それを、パタンジャリが1つの本にわかりやすくまとめたのです。

つまり、ヨガもまた民話と同じく、大昔から時代を超えて、人から人へと語り継がれ、受け継がれてきたものなのです。

今回はオランダとエストニアの民話を取り上げますが、遠いヨーロッパの地で語り継がれてきた物語で語られている真実が、インドで受け継がれてきたヨガの教えとピッタリと重なるのです。

時代を超えて語り継がれ、受け継がれてきたものは驚くほど、同じ真実を語っているのですね。

オランダ民話「しあわせなふくろう」

木に止まる二羽のフクロウ

それでは、オランダ民話の方からくわしく見てみることにしましょう。

崩れかかった石の壁の中に、とても幸せな2羽のふくろう夫婦が暮らしています。

すぐ近くには百姓家があって、ニワトリやガチョウ、クジャクや、アヒルたちが住んでいたのですが、彼らは食べることや飲むことばっかり考えて、年がら年中ケンカばかりしていました。

そんなある日、1羽のクジャクが、ふくろうの夫婦はどうしてあんなに幸せで仲が良さそうなのだろうと不思議に思い、その理由をふくろう夫婦に聞きに行きます。

すると、ふくろうの夫婦は穏やかな声で、こんな風に語ります。

はるがくるのを ながめていると、
ほんとうに うれしくなってきます。
あらゆるものが、いっせいに ふゆのねむりから めを さますのです。
きには、たくさんの つぼみがふくらみ、
はも、あおあおと しげってきます。
のはらでは、なんぜん なんまんと ちいさなはなが ひらきます。
みわたすかぎり なにもかも、よろこびのこえを あげているようです
(「しあわせなふくろう」)

ふくろう夫婦が、とても綺麗な心なのだということは、もうこの言葉を聞いただけで、ものすごくよくわかりますね。

ふくろう夫婦は、ヨガで言うサットヴァな心そのもので、世界を見つめています。

だから、何もかもが喜びの声をあげていると感じとることができるのです。

どのはなの まわりでも、みつばちや まるはなばちや あぶたちが、
にぎやかな はねのおとをたてて、とびまわります。
ちょうちょうは、はなからはなへ ひらひらと まいあるいて、
きんいろの ひまわりから、みつをあつめます。
いよいよ、すばらしい なつが きたのです。
なにもかも うつくしくかがやく このころになると、
わたしたちは、よびよせられるように、みどりのもりに とんでいきます。
もりでは、ひのひかりと、あめとに そだてられて、
どのきも どのくさも、あおあおと しげっているのです。
わたしたちは、ふかい もりのなかの しずかなこかげに とまります。
そうしていると、しあわせで、
やすらかなきもちで いっぱいです
(「しあわせなふくろう」)

「ヨガ・スートラ」の中には、「サントーシャによって、無上の喜びが得られる」という教えがあります。

サントーシャとは、足るを知るということです。

今自分が持っているものそのものが、十分に素晴らしく価値のあるものだということを知って満たされた気持ちになるということですね。

このふくろう夫婦こそは、サントーシャで無上の喜びを得ているふくろうたちだと言えるでしょう。

そして、ふくろう夫婦の優しい語りを聞いた人は、自分を囲んでいる美しい世界に目を向けるようになり、サントーシャの心でいっぱいになるのです。

エストニア民話「みっつのねがい」

鍋に入れられたキャベツと暖炉の炎

エストニア民話「みっつのねがい」も、サントーシャの大切さを語っている物語です。

あるところに、貧乏で怠け者の夫婦がいました。

貧乏なのでいつもお腹をすかせていて、ケンカばかりしています。

あるひ、ふたりは、これまでで いちばんの おおげんかをしました。
「おれは はらぺこなんだ! なまけていないで りょうりでもしろ!」
だんなさんが おおごえを だして、ゆかを おもいっきり けりました。
いえが ゆれて えんとつが ゴトンと かたむきました。
「たべるものが ないのに、どうやって りょうりをするのさ! なまけていないで、さかなでも つってきてちょうだい!」
おくさんが まけずに おおごえをだすと、かべが ふるえ、いえがゆれて、ドアがガタンと はずれました。
(「みっつのねがい」)

そこに、不思議なおじいさんが現れて、なんと3つの願いを叶えてあげようと言います。

今から3日目の日に、3つの願い事を言えば、それをかなえてあげるというのです。

なんと、素晴らしい申し出ではありませんか! 

もちろん、夫婦は3日3晩眠らずに一生懸命、どんな願い事にしようか考えます。

お乳をしぼると甘ーいクリームが出てくるキレイな牛が欲しいとか、どんどん魚がつれるつりざおが欲しいとか、中からふわふわのケーキが出てくる卵を産むメンドリが欲しいとか、羽のあるブタが欲しいとか、夫婦の夢はどんどん大きく膨らんでいきます。

しかし、とうとう3日目の朝。たくさんの願いごとを考えすぎてクタクタの2人は、どの願いごとを言えば良いのか、さっぱりわかりませんでした。

奥さんは何か食べれば元気が出て、素晴らしい願いごとを思いつくかもしれないと思い、残っていたキャベツで貧弱なスープをこしらえます。

「あーあ、みじめなスープ。おいしいソーセージがあればいいのに……」
(「みっつのねがい」)

奥さんが思わずつぶやくと、おどろいた!見たこともないような大きな大きな大きなソーセージが現れました!

それを見ただんなさんは怒り出します。

「みっつのねがいごとのひとつを、こんなものにつかっちまったのか!
 そんなにソーセージがすきなら、おまえのはなにでもくっつけておけ!」
(「みっつのねがい」)

すると、あきれましたねえ。大きな大きな大きなソーセージは、奥さんの鼻にくっついてしまいました!

奥さんが首をふるたびに、ソーセージの鼻がゆっさりゆっさりと揺れて、旦那さんを床にたたきつけてしまいました。それで、旦那さんはますます腹を立ててさけびます。

「いたいじゃないか! なんてことをするんだ! こんなソーセージ、きえてしまえ!」
(「みっつのねがい」)

すると、ソーセージはきれいさっぱり消え失せてしまいました。

3つの願い事は使い果たしてしまいました。あんなに懸命に願いたいことを考えたのに、夫婦の手元には何一つ残らなかったのです。

夫婦は、さぞかしガッカリしているだろうと思ったら、違います。奥さんも旦那さんも、大きなソーセージの鼻がなくなって、大喜びに喜んでしまいました。

おくさんも だんなさんも、おおよろこびです。
これまで くらしてきて、こんなに うれしかったことはありません。
ふたりは、のこっていた スープを わけあって のみました。
(「みっつのねがい」)

夫婦の手元には何も残りませんでした。願い事を唱える前と、全く同じ状況に置かれています。

それなのに、奥さんの鼻に見たこともないほど大きな大きな大きなソーセージがぶらさがっていないというだけで、こんなにもうれしくなって、前には文句タラタラ言いながら飲んでいたスープも喜んで飲むほどになったのです。

だんなさんは、穏やかに言います。

「きれいなウシも、そらとぶブタも、いらないさ。
 ふたりでなかよくくらしていければ、それがいちばんだ」
(「みっつのねがい」)

けんかばかりして文句ばっかり言っていた夫婦ですが、今の暮らしでも十分楽しく暮らしていけると気がついたのです。

これこそ、サントーシャを見事に語っている物語だと言えるのではないでしょうか。

世界にはいろんな民話があります。

絵本になって読みやすくなっているものも多いですから、この機会にぜひ読んでみてはいかがでしょう。

よく知っていると思いこんでいる昔話からも、いろいろな発見をすることができるかもしれませんよ。