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日常の中であらゆる悩みが生まれてくると思いますが、これらは全て心の働きによって生まれるものです。心が苦しみを生みだすのであれば、心の働きを理解してコントロールすることで、苦しみを弱めたり手放したりすることができるのではないでしょうか。
まずは、自分の心がどのように働いているのかについてヨガ哲学的にみていきましょう。
心(チッタ)を構成するブッディ(知性)・アハンカーラ(自我意識)・マナス(思考)
ヨガでは、サンスクリット語で心をチッタと呼びます。
チッタを構成する3つの要素は、サンスクリット語でブッディ(知性)・アハンカーラ(自我意識)・マナス(思考)と呼びます。それでは、これらを順番に見ていきましょう。
物事を正しく認識するブッディ(知性)
ブッディは正しく物事を認識する知性です。
そこに個人的な感情は含まれていません。また、ブッディは世界全体の共通認識なので「宇宙の思考原理」と呼ぶこともできます。
ブッディは共通認識なので、本来は人やその他の動物との違いを隔てる壁はありません。スマートフォンに例えると、誰もが同じスマートフォンを持っていても、ダウンロードしたアプリによって使い方が変わりますよね。それと同じで、どのようなアプリをインストールするのかによって、人として生まれるのか犬として生まれるのかといった違いが生まれます。感情の面でも、ある人はスマートフォンを便利で簡単だと感じ、ある人は使い方が難しいと感じます。また使い方についても、ある人はSNSに依存して苦しみ、ある人は仕事の時だけ使い、ある人は着信音が鳴らない限り放置するといった違いがあります。
このように、スマートフォン自体は善でも悪でもありませんが、使用者によって全く違うものになることがわかります。
これらのパーソナライズされた設定を全て解除し、プレーンな状態に戻したものがブッディです。つまりブッディとは、自分個人というエゴを取り除いた知性のことです。
プレーンな状態なので個人的な私情を持たず、正確に物事を把握することができます。ですので、他の思考が全て止まったブッディのみの状態になると、自分自身の本質を知ることができるのです。
自分と他者の壁を作るアハンカーラ(自我意識)
どうして同じ世界を生きていても、幸せに感じる人もいれば苦しみを抱く人もいるのでしょうか。それは、自分と他人は別物だと認識する心の働きであるアハンカーラ(自我意識)によって生まれます。そして、このアハンカーラによって様々なしがらみが生まれます。
アハンカーラ(自我意識)とは、意識が自分の外に向くことによって生まれる心の働きです。もしも世界に人間が自分一人だけであれば、「自分とは誰か」と考える判断材料がありません。しかし比較する対象があることで、「自分」をより強く意識するようになるのです。
例えば、妹が生まれたとします。それまでは両親の愛情を全て独り占めすることができていたのに、急に幼い妹に両親の注目が集まり、自分は充分な愛情を受け取れていないと感じたとします。すると、自分と妹のどちらが優れているかをジャッジしたくなりますよね。
自分の方が可愛い容姿をしている、私の髪の毛の方がストレートで美しい、勉強は私の方が得意だけど、運動は妹の方が得意など。
このように自分と他人を比べることによって、より「自分とはどんな人間か?」を認識していきます。
そして、自分と他者を比べることによってより自分が優位に立ちたいと感じます。
本来、充分な食事と清潔な住環境、教育の機会を両親から与えられていれば、それだけで幸福なはずです。しかし、誕生日に自分と妹のどちらの方が大きなケーキを貰ったとか、どちらのクリスマスプレゼントが大きかったなど、少しでも自分の方が優位になれるものを見つけようとし、自分が劣っていると感じれば怒りの感情が生まれます。
全ては「自分」と言う概念によるものです。こういったエゴが様々な苦悩の原因となります。
あらゆる間違いを生み出すマナス(思考)
アハンカーラ(自我意識)が芽生えたことによって生まれるあらゆる思考は、マナスと呼ばれます。マナス(思考)とは、日常で私たちが考えていることの全てです。
マナスは、外の対象に向けて生まれます。
例えば収入が低くて惨めだと感じている時、どうしてそのように感じてしまったのでしょうか。それは、自分の目につく他者と比べているからです。
私は色黒で恥ずかしいから美白を頑張ろうと考えている時、それは自分の周囲にいる人と比べているから自分は地黒だと判断したのですね。
世界を見渡せば、もっと黒い人も白い人もいます。しかし、特定の対象を比較することによって、思い込みが生まれます。
人は自分が比べたい相手と自分とを比較します。それによって、自分が幸せか不幸か、自分が思いたいように思い込むのです。このように、思考によって認識した事柄は根拠があると思っていても、間違っていることが多々あります。
思考による認識は全てヨガで手放す対象
ブッディ・アハンカーラ・マナスの3つの要素は常にセットになっています。
私たちが心(チッタ)と呼んでいるものは、これら3つ全てが組み合わさって出来上がったものです。
チッタには、ポジティブなものとネガティブなものがあります。
楽しかった過去のことを思い出したり、未来に向けて頑張ろうと努力したりする前向きな思考はポジティブで良いものです。
それに対して、暗いニュースに気が滅入ってしまったり、将来に不安を感じたりしている時にはネガティブな思考が働いています。
できるだけポジティブな思考であった方が幸福を感じられますが、ヨガではポジティブを極端に推奨することなくフラットな状態を目指します。
どうしてポジティブな思考さえ、フラットに近づけようとするのでしょうか。
なぜなら、極端な高揚感は必ず反動を生みだすからです。例えば、大きな仕事を成し遂げた後の燃え尽き症候群、とても楽しかった週末の後の月曜日のように。
また、興奮が大きいほどその後の苦しさも大きくなります。だから、特定の出来事に大興奮するような喜びよりも、穏やかな内側からの喜び=光を目指していくのです。
瞑想で心を止めていく順番
ヨガの瞑想では、粗雑なものから徐々に微細なものを手放していきます。
まずは、大きな雑念から止めていきます。
瞑想を行うときに現れる雑念はマナス(思考)です。マナスは起きている間は無自覚に働き続けています。そのため、呼吸に意識を向けようとしても、友達の言葉や食事の献立などが勝手に頭に浮かんできてしまうのですね。
なかなか止めることができないマナスですが、ヨガの練習を続けることによって少しずつコントロールできるようになっていきます。
次に手放すのはアハンカーラ(自我意識)です。
自分という感覚もなかなか消えませんが、瞑想で外への意識を弱めることで自然と消えていきます。自我意識は、外の世界と自分を比較することで強まるので、外への意識を弱めるだけで自然に不要になってくるのですね。
アハンカーラ(自我意識)が弱まると、とても純粋で美しい感覚が現れます。それは、内側からの光です。
自分自身の本質が見えてくる時、真実を見る力のブッディ(知性)が輝いていますが、その輝きすらもゆっくりと止めていきます。
そのような状態になれば「私の本質はここにある」といった真実の知識さえ理解する必要がなくなっていきます。
ただその瞬間を感じるだけの状態になった時、初めて全ての思考を手放して完全な自由を感じることができるのです。
自分の心の働きを意識してみましょう
瞑想の中だと最初の段階であるマナスが生む雑念を止めるだけで精一杯になり、その後の状態をイメージするのは難し過ぎると思いますので、もう少し日常に戻って考えてみましょう。
私たちの思考には、癖があります。
ある人はアハンカーラ(自我意識)が強くなり過ぎています。すると、全ては自分中心の価値観になってしまい、他者との反発を生み出しやすくなってしまいます。
また、マナス(思考)が優勢すぎる場合は、頭で考え過ぎて未来への不安や過去の行いへの後悔に囚われてしまいます。
ブッディ(知性)が優先な人は、その時々の状況を客観的に見ることができるので冷静さを失いません。
感情が暴走しそうな時には、ブッディの視野を取り戻せるようにしたいですね。
自分の心を少しだけ俯瞰できるようになれば、物事の捉え方にも大きな変化が感じられます。まずはヨガを練習しながら、自分の心がどのように働いているかを観察してみましょう。