皆さん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、前回に引き続き、解剖学者で発生学者でもある三木茂夫さんの『海・呼吸・古代形象』を取り上げたいと思います。
前回は、「人間はなぜ呼吸がヘタクソなのか」ということについてお話させていただきました。その理由には、人間が魚から進化してきたという歴史が深くかかわっていたのです。そして、人間は呼吸がヘタクソだからこそヨガの呼吸法が必要なのだということまでが前回の内容でした。
さて今回は呼吸から一度離れて、生命記憶についてみなさんと考えていきたいと思います。
古代の海の記憶
生命記憶について、三木さんはこのように語っています。
ふつう記憶と申しますと、それは、もの心ついてから以後に集積されたものを指すようですが、私がこれからお話します記憶とは、臍の緒が切れる以前から、つまり生まれながらに備わったものであります。三十憶年のコアセルベートの彼方から、からだの奥深くに、次から次へと累積されてきた記憶のことであります。ロゼッタストーンの不可解な記号のように、この累積された記憶はからだの奥深く、細胞原形質の中核をなすDNAのあの二重の渦巻文様の中に秘めやかに刻み込まれているのです。
『海・呼吸・古代形象』
細胞原形質の中に刻み込まれている生命記憶は、ひょんなことから思い出すことができると言います。例えば、出産に立ち会った三木さんは、羊膜がクッションのように避け、胎児が大きなラセンを描きながらすぱーんと出てきた時、羊水のしぶきを顔のあたりに浴びて、言葉に言い表せない感覚を覚えたそうです。それは、永遠の流れが瞬間的に凝集したような瞬間だったと言います。
私は、ほとんど直観的に「羊水とは古代海水の面影を宿したもの」と思いました。
『海・呼吸・古代形象』
海はすべての生物の故郷です。その故郷の海の水の記憶が、細胞原形質の中に刻み込まれているのだと三木さんは言います。このように、生まれるよりずっと以前の根源的な記憶のことを生命記憶と言うのです。
古代魚の心臓と人間の心臓のつながり
人間と海のつながりは、私たちの心臓にも見ることができるようです。
三木さんはそのつながりを人間の赤ちゃんの心臓奇型について調べている時に発見しました。40日ほど生きた奇形の心臓を持った赤ちゃんを詳しく調べていた時に、三木さんは衝撃を受けます。なぜならその赤ちゃんの心臓は、硬骨魚類であるポリプテルスの心臓とそっくりだったからです。
まさにポプリプテルスの心臓なのです。アフリカのナイジェリア奥地の湖に棲むといわれる、あの硬骨魚類の一番古いやつです。
『海・呼吸・古代形象』
遥か3億6000万年から4億年前あたりにかけて、地球的な規模で地核の隆起が起き、海の生き物たちは陸に押し上げられました。生き物たちはそのまま、古代植物が栄えた古代緑地にエサを求めて上陸していったのです。当時の魚たちはエラの一部から肺をつくり、陸上でも呼吸ができる両生類に進化しました。ところがこの進化を遂げる途中で、海に引き返していった魚たちもいると言います。その出戻った魚たちが硬骨魚類なのです。
40日ほど生きた赤ちゃんの心臓は、海に出戻った硬骨魚類であるポリプテルスの心臓とそっくりだったのです。その赤ちゃんは、最古の硬骨魚類の心臓を持って生まれてきたのです。他の亡くなってしまった奇形の心臓を持った赤ちゃんたちを調べていくと、この心臓はミシシッピーのアミアと同じ型だとか、この心臓はオーストラリアの肺魚の型と同じだとか、この心臓は虹鱒の浮袋型と同じだとか、この心臓は一般の爬虫類と同じ心臓だ……といった具合に、心臓が奇形であると言われた赤ちゃんたちのそれは、不思議なくらい動物達のそれと似通っていたそうです。
これで皆さまもお分かりになったと思いますが、こうした奇型は、われわれ共通の祖先から枝分かれしたそれぞれの動物たちの型が、どうしたわけか出てきたものである、ということです。いま、この枝分かれが、あの上陸と(海へ)撤退から起こったことを思いますと、それはかつて、母なる海を離れようと志した、いわば祖先の業の酬い、ということになるかも知れない。人間の奇型の大半は、ほとんどこの上陸の歴史に絡んでいるのです。
『海・呼吸・古代形象』
胎内の世界
人間の赤ちゃんの心臓が、遠い海との恐ろしく根深いつながりを教えてくれたことをきっかけに、三木さんは発生学的な調査を開始します。
“人間の赤ちゃんの心臓は、古代の海と根深くつながっていた。では人間の胎児の顔は、どのように進化の歴史とつながっているのだろうか”と三木さんは考えたのです。
私はそんなある日、ふと意を決して、受胎後32日頃と思われる珠のような胎児の頸部を、顕微鏡でのぞきながら小ちゃな鋏で切り落としました。それはもう何年も机の前に置いて眺め続けてきたものです。
標本瓶ごしに映る、白いかすかな透明なその生命は(略)勾玉のようにからだを丸め、その顔は心臓のふくらみにくっついて、どうしても見ることができない。この顔を見るためには頸を切り離さなければならない。この決心が固まるまでに、どれ位の月日がかかったことか。
私はフォルマリンの液体の中を、ゆらゆらと揺れながら落ちていったそのゴマ粒のような頭部を、ピンセットでソッとこちらに向けた時、アッと息を飲んだ。
フカ……! フカの顔だ。この感じは発生学の教科書の挿絵では決して得られない。頸すじに鋭く切れ込んだエラの形象―まさしくあの軟骨魚類のそれです。駿河湾に獲れる古代ザメのラブカの顔つきなのです。『海・呼吸・古代形象』
ここから三木さんは、夢中で観察を続けていきます。
34日目の胎児。手の指がやっと5本に分かれかかった胎児の顔は、爬虫類の顔でした。ニュージーランドのムカシトカゲの風貌そのものだったそうなのです。
38日目の胎児はもう哺乳動物の顔になっていたそうです。アマゾンの哲人といわれるミツユビナマケモノの赤ん坊の顔とそっくりになっていたのだそうです。
三木さんは妻が妊娠している時、妻のこともじっと観察していたそうです。すると30日を過ぎた頃から異変が出始め、つわりが始まったのが36日目頃だったそうです。
36日目といったら、胎児は爬虫類に変身している頃です。胎児が魚から爬虫類へ……つまり、海から陸に上がる生き物に劇的な進化を遂げる頃、母はつわりに苦しむというわけなのです。胎児は母親の身体の中で、進化の歴史をそのままたどって成長していたのです。
三木さんはこう言います。
原初の海に、太古の原形質が生まれたのが、今から30億年の昔といわれております。以来この海水の中でえいえいと進化を続け、そのあるものは、少なくとも五億年前に脊椎動物の祖先となり、やがてそれが古代緑地へ上陸を敢行する。この悠久の物語りが、母胎の内では、わずか1カ月あまりの時の流れで再現される……。この感じが、もうこれで充分お分かりになったと存じます。
『海・呼吸・古代形象』
母親の身体の中で、胎児は羊水という古代の海水の中で守られて育ちます。赤ちゃんのいる子宮の中にはずっと母親の心臓の音が響き渡っています。ある時は穏やかに、ある時は早鐘のように……その心臓の血潮の響きには、古代の海の潮騒の響きが宿されていると三木さんは言います。
母親の身体の中で胎児は、生物の進化を辿る悠久のドラマを瞬間的に再現しているのです。そうと知ると、私たち一人一人は魚から進化してこの世に生まれて来たのだと感慨を覚えるのですが、皆さんはいかがでしょうか。
全ての生き物は同じプルシャ
人間も、魚も、獣も、爬虫類も、両生類も、植物も、鉱物も……この地球上の全ての生き物は遡れば、30億年前に太古の海から生まれ出た原形質にたどりつきます。全ての生命はここからはじまったのです。
この生命の始まりである太古の原形質は、海から生まれました。海は地球から。地球は宇宙から生まれました。だから、全ての生き物は宇宙と深くつながっているのです。
ヨガでは、生きとし生ける全ての“もの”にプルシャが宿っていると考えます。全ての“もの”は変わりますが、プルシャだけは永遠で決して変わることはありません。
このプルシャとは、私たち全ての生きとし生ける生き物の身体の中にある太古の原形質のことではないでしょうか。
そして、この原形質の中には30憶年という気の遠くなるような生命の進化の歴史が刻み込まれているのです。
全ての生き物の中に30憶年という気の遠くなるような生命の進化の歴史が刻み込まれている。しかも、同じ生命の歴史が確実に刻み込まれている。
そう考えた時、容姿の差や障害の有無、肌の色や思想の違いで、人が人を差別することがどんなに愚かなことかよくわかってくるような気がします。
違った価値感を受け入れようとか、多様性を大事にしようとか、そんな言葉さえ必要ないような気がしてきます。
三木さんは言います。
皆さん、いちど、この太古の潮騒の響きを伝える心臓の鼓動、文字通り、こころの声に耳を傾けてみようではありませんか。
『海・呼吸・古代形象』
心臓の声に耳を傾け、古代の海の潮騒の響きを思い返してみた時、全ての生き物は同じ原形質でつながっている……そう、ヨガで言えば、全ての生き物は同じプルシャなんだということが、まさしく腑に落ちて理解できるような気がします。
全ての生き物は同じ海から生まれて来たのだと感じることこそが、地球上で生きていく上でとても大切になってくるのではないでしょうか。
三木氏の著書を読むと、そのことがもっともっとお分かりになると思います。
ぜひ、『海・呼吸・古代形象』を手に取り読んでみて下さい!