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人生の中で、どの道に進めばいいか悩んでしまうことは何度もあります。しかし、どの道が正解なのかは誰も教えてくれません。大人になると、自分自身で決断して責任を取らないといけないことも多くなり、世界はとても厳しいと感じることもありますね。
今回は、そんな時に思い出したい『バガヴァッド・ギーター』の名言を紹介します。『ギーター』の中でクリシュナ神は、時に私たちに厳しいメッセージを送ります。しかし、それらの言葉は、私たちの背中を強く押して勇気づけてくれます。
嘆くべきでないことを分別くさく語らない
あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。しかも分別くさく語る。賢者は死者についても生者についても嘆かぬものだ。
『バガヴァッド・ギーター』2章11節
これはとても厳しい言葉ですが、クリシュナ神は世の中の悩みはただの幻影だと説きます。
私たちはすでに恵まれていたとしても、ないものねだりをしてわざわざ苦しみを生み出します。周りの人から見たら大したことがない場合でも、本人にとっては一大事なことはよくありますね。
例えばヘアスタイルを気にしている人にとっては、前髪のセットが上手くいかないだけでも、その日は誰にも会いたくないほどの重大な問題です。周囲から見たら分からない程度の誤差でも、本人にとっては大事なことなのですね。
これは、大きな問題であっても同じです。
例えば、大学受験は人生の中でも一大事ですが、志望校に合格できなかったからといって人生が終わるわけではありません。毎年沢山の生徒が第一志望校を諦めながらも、別の場所で頑張っています。
人生の中で、どんなことが起こるかは分かりません。望まない状況に陥ることもあります。しかしそこで、悲劇に流されて分別くさく語り続けていては、未来は与えられません。
自分の目の前にあることに向き合う大切さ
もしあなたが、この義務に基づく戦いを行わなければ、自己の義務と名誉とを捨て、罪悪を得るだろう。
『バガヴァッド・ギーター』2章33節
人生には、ここぞ!という場面が何度か訪れます。そんな時には、目を逸らさずに真剣に立ち向かう必要があります。
例えば、将来に関わるものとして受験勉強や就職活動がありますが、精一杯戦った結果がどのような結末になるのかは誰にも分かりません。願った通りの成果を得られる場合もあれば、挑戦したのに全てが失敗に終わってしまうこともあります。
人間関係が上手くいっていない時も、真剣に立ち向かう必要があります。特に、家族やパートナーとの気持ちの行き違いは、向き合うのが億劫で後回しになりがちですが、大切な人にこそ向き合わなくてはいけない時もありますね。
しかし、真剣に向き合った事実は決して失われません。
成功も失敗も平等に捉える
苦楽、得失、勝敗を平等のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。
『バガヴァッド・ギーター』2章38節
通常私たちは、あらゆるものを二極化してジャッジします。「苦しい・楽しい」「損をした・得をした」「勝った・負けた」と。このようにジャッジすることこそが間違いであると『ギーター』は説きます。
得をしたり成功することのみを求めるのは、この世界でとても不自然なことです。
例えば、買い物をする時に値段交渉をとことんして、とても安く購入できたとします。その時は、自分が得をしたと喜びます。しかし店主からしたら、本来得るべき正当な利益を奪われたことになります。その結果、経営が上手くいかなくなり閉店してしまったら、客である自分にとっても不便になりますね。
世の中には、常にバランスがあります。
時に、すごく良いこともあれば悪いこともありますが、ずっと得ばかりということはありません。一時的に得をしても損をしても、誰かに勝っても負けても、一喜一憂しないような軸を持ちたいですね。
結果よりも行動が大切
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。
『バガヴァッド・ギーター』2章47節
通常私たちの行いは、何かの結果を求めて行うものです。お金を得るために働く、痩せるために走る、大学に受かるために勉強をする、好かれるためにお世辞を言う。これらは当たり前の行為ですが、ヨガでは、結果のためではなく行為自体を大切にするように教えます。
人生の中で、多くの人が最も苦しむのが受験勉強ではないでしょうか。受験生本人だけでなく、親も全力で戦います。しかしどれだけ努力をしても、必ず合格できるわけではありません。合格率30%の大学であれば、1000人全員が100%の努力で挑んだとしても、700人は必ず不合格になってしまいますね。
また、上位一割のとても成績の良い生徒であっても、受験当日にインフルエンザにかかってしまうこともあります。
結果は、私たちでは左右できません。
可能性を上げることは可能ですが、何事にも100%はありません。
では、行為そのものに意識を向けてみましょう。
たとえ志望大学に行けなかったとしても、100%努力をする力が身につけば、別の進路に進んでも必ず良い未来が訪れます。失敗を無駄にしないで成功の元にできるかは、どれだけ真剣に向き合ったかです。
一時的に思い通りの結果にならなくても、自分自身の行動を信じることが大切です。
目の前のことを祈りとして行う
あなたが行うこと、食べるもの、供えるもの、与えるもの、苦行すること、その全てを私(クリシュナ神)への捧げものとせよ。
『バガヴァッド・ギーター』9章27節
自分の人生のために何をしたら良いのか分からない人は、まずは目の前のことに対する意識を変えてみましょう。
例えば、仕事の転職を考えている時には、今働いている環境への意識が薄れてしまいます。自分ではいつも通りの仕事をしているつもりでも、心あらずの状態になってしまいますね。学生でも将来のことばかり考え始めると、授業に身が入らなくなってしまうかもしれません。
それは、仕事だけではありません。
例えば、大切な自分の身体を作るための料理をするのであれば、心を込めて用意しましょう。それは、自分の内側の神聖さへの祈りの行為になります。部屋の掃除も同じです。
お茶を一杯飲むだけでも、丁寧に味わって飲んでみましょう。友達とおしゃべりをしながらお茶を飲む時には気が付くことができなかった、本当の味わいを発見できるはずです。
なんであれ、今、目の前に与えられた役割を一生懸命行いましょう。
あらゆる行為を祈りとして丁寧に行うことで、物事の本質が見えてきます。
自分自身の役割を見つける
自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。
『バガヴァッド・ギーター』3章35節
自分の天職が分からないと感じている人は、周囲の人の真似をしがちです。友人の成功と自分を比べたり、インターネットで成功者の意見を検索したりして参考にします。
しかし、他者の価値観で行動してみても、なかなか上手くいかないことがあります。それは、一人ずつに与えられた役割が違うからです。
注目を浴びて派手な活躍をするダルマがある人もいるでしょうが、全員が派手に活躍する必要はありません。社会の調和は、人々が別々の役割をこなすことで初めて保たれます。
役割が違えば、生き方も違います。価値観が違えば、幸せの条件も違います。
焦らずにじっくりと自分と向き合うことで、少しずつ自分の居場所が分かってきます。快適だと感じる場所があれば、そこが与えられたダルマ(役割)です。
自分にとっての心地よい場所を見つけたら、素直にその場所を受け取り、自分の人生を丁寧に歩んでいきましょう。
自分に向き合いたい時に『バガヴァッド・ギーター』を開いてみる
『バガヴァッド・ギーター』は、世界のあらゆる悩みの答えが詰まっていると言われています。生まれた時代が違っても、国が違っても、宗教の違う人にさえ伝えることができる、人生の知恵が詰まった教典です。
『ギーター』は、何らかの価値観を押し付けるものではなく、自分だけのオーダーメイドの幸せを探す手伝いをしてくれる教典です。
ヨガを練習している人は、ぜひ手に取って自分に必要な教えを探してみて下さい。