夕焼け空をバックに座って瞑想する女性

『ヨガ・スートラ』に出てくる「業・業依存・業報」でカルマの仕組みを理解しよう

ヨガ哲学には、カルマという考え方があります。

私たちの人生で起こるあらゆることには必ず何らかの原因があると考えられ、その原因となるものがカルマだと信じられています。

このように書くと少し怪しげなものに感じられますが、カルマの仕組みはとてもシンプルです。今回はあらゆる現象が起きる仕組みを、『ヨガ・スートラ』の言葉を引用しながら考えていきましょう。

世界を動かすカルマのしくみ

投げたブーメランがぐるっと回って後から戻ってくるイラスト

カルマは、インド思想全体で共有している大切な定義です。ヨガはもちろん、現代インドのヒンドゥー教や仏教、苦行を好むジャイナ教やターバンを巻いた人々で有名なシーク教でも、この考えを取り入れています。

カルマは漢字では「業」と書きますが、本来の意味は「行為・行い」というシンプルな言葉です。

私たちが日々行なっているあらゆる行為は、全てカルマと呼ばれます。このカルマには、意識的なものもあれば無意識的なものもあります。例えば、私たちは生命活動を維持している間、休むことなく呼吸を続けています。この呼吸もカルマですが、身体的な活動だけでなく発する言葉や思考もカルマを生み出しています。人々は24時間カルマを生み出し続けており、それを回避することはできません。できるだけ何もしたくないからと睡眠をとったり、できるだけ考えないようにと瞑想をしたとしても、「寝た」「瞑想をした」というカルマを生み出し続けています。

実に、一瞬の間でも行動をしないでいる人はいない。というのは、全ての人は、プラクリティ(根本原理)から生ずるグナにより、否応なく行為をさせられるから。

『バガヴァッド・ギーター』3章5節

カルマが原因となり結果を生み出し続けている

カルマ(業)とは私たちが生み出す行為ですが、このカルマが原因となってあらゆる事象を生み出します。

日本でも自業自得という四字熟語がありますが、これは「自分の行い(行為)が自分の得となって返ってくる」という意味です。とてもシンプルなしくみですが、この自業自得の仕組みによって私たちは束縛されているとヨガ哲学では考えます。つまり、良い行いをした時には良い結果が得られますが、悪い行いをすると悪い結果である苦しみが必ず起こるので、この仕組みからは逃げることができません。これは、善因善果・悪因悪果と呼ばれる仕組みです。

まことに善業の人は善となり、悪業の人は悪となり、福業によって福人となり、罪業によって罪人となる。故に、世の人はいう。人は欲よりなる。欲にしたがって意思を形成し、意思の向かうところにしたがって業を実現する。その業にしたがって、その相当する結果がある。

『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』

行いが結果を生むしくみ「業・業依存・業報」

卵のオブジェ

良い行いが良い結果を生み、悪い行いが悪い結果を生むことは誰でも実感があると思います。ではなぜそのようになるのか、哲学的なしくみを考えていきましょう。

結果を生み出す種「業依存」

業依存は、カルマ(業)から結果が生まれる仕組みの中間にあります。

私たちが良い行いや悪い行いをすると、心(チッタ)の根底部分に跡が残ります。それは、潜在的な印象となり、結果を生むための種となります。心理的な記憶のように表面化して覚えているものもあれば、印象のみが残り自覚がないものもありますが、この潜在印象は発芽して結果を生み出すまで消えません。

ヨガで頻繁に使う言葉にサンスカーラ(潜在印象)という言葉がありますが、業依存はサンスカーラの一つです。サンスカーラには、業依存の他に煩悩や残存印象という心理的な記憶として残るものもあります。しかし業依存は、未来に外的な要因として現れるものです。外的な要因と言うと難しく感じますが、輪廻転生がそれにあたります。

カルマによって生み出される「業報」

カルマの結果である業報は、サンスクリット語でヴィパーカと言い、ヴィパーカには熱を加えて調理するという意味があります。

卵を加熱して調理すると元の姿とは全く違うものになるのと同様に、カルマ(業)の結果も原因と全く違う姿で現れることがあります。例えば、富を騙し取るような悪いことをした時にその場ではバレなくても、帰り道で事故に遭うなど直接関係がない悪いことが起こることがあります。すると人は、「バチが当たった。悪いことはできない」と反省をします。

逆に良い行いをした時にその場では報われなかったとしても、どこかで幸運な出来事があるかもしれません。

カルマ(業)と輪廻転生

土から発芽した新芽

前述した通り、私たちは生きている限りカルマを生み出し続けていて、そこから解放されることはありません。毎日無数の行いを生み出し、それらが業依存として記憶の奥に蓄積されていきます。しかし、その多くの業依存が結果として表面化する前に、私たちは寿命を迎えてしまいます。

ヨガ哲学ではこれらの業依存、つまり「結果の種となるもの」は人が死んでも消えないと考えます。これらの業依存が原因となり、魂は新しい生命として生まれ変わります。

どのような出生が与えられるかは自分自身で選ぶことができず、蓄積された行いによって決まります。とても運が良ければ裕福な家庭に生まれることができるかもしれませんが、場合によっては貧しい家庭、低いカースト(職業身分)、または戦争のある土地に生まれてしまう場合もあるでしょう。仏教の紗尊は、そもそも人間として生まれることができる可能性はとても低く、人間として生まれることは幸運なのだと説きます。

私たちの人生では、前世の行いで生み出した業依存によって様々な結果が起こります。例えば、双子の兄妹でも性格が全く違うことはよくありますが、それは過去世の記憶によって現れる性質が違うのだとインド思想では考えます。

面白いことに、蓄積された業依存の種は、今世での自分の状況にあったものだけ発芽します。例えば、人間として生まれた場合に表面化する業依存は、ウサギとして生まれた場合には発芽しません。同様に、鳥に生まれた場合にのみ発芽するものもあれば、天上の神に生まれた場合にのみ発芽するものもあります。

今世では、蓄積された種子全てを発芽させることができません。そのため私たちは今世を終えたら別の姿で生まれ、輪廻を繰り返し続けます。この仕組みを窮屈に感じた古代インドの人たちは、あらゆる宗教や哲学によって輪廻から解放されようと試みました。それが、ヨガで解脱(モークシャー)と呼ばれるものです。

輪廻転生からの解脱

業依存を含めたサンスカーラ(潜在印象)は、大きく分類すると記憶の一部です。記憶は『ヨガ・スートラ』の中で、心の働き(チッタ・ブリッティ)の一つとして定義されています。

ヨガではあらゆる心の働きを止めていきますが、それは現在表面化している雑念だけではありません。過去の記憶やトラウマのようなもの、または本人が全く覚えていないものまで、あらゆる思考の種を止滅させていきます。ヨガの初期段階では、外の世界に向いた思考から徐々に内側の雑念を消していき、最終的には見えにくい微細な心の種まで消していきます。

深い瞑想よってのみ全ての業依存は焼き払われ、輪廻転生の運命から解放されると説かれています。

原因と結果の関係を観察してみる

記憶と輪廻転生の関係など少し複雑になってしまいましたが、原因と結果の関係性を説くカルマの仕組みが分かると世界の仕組みが見えてくるようになります。

多くの業報は、焼いた卵のように元の姿と違う形で現れます。それによって混乱してしまうこともありますが、自分の行いとそれによって起こる変化を観察していると、原因と結果の繋がりを少しずつ感じることができるようになります。 ヨガは自分自身を観察するためのものですので、日常で起こる身の回りの様々な現象もヨガの一部として観察し始めてみてください。

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