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谷川俊太郎『生きる』~言葉からあふれるサントーシャ~

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、先日お亡くなりになった国民的詩人の谷川俊太郎さんを取り上げたいと思います。谷川俊太郎という名前を知らない日本人は、おそらくいないのではないでしょうか。『生きる』や『朝のリレー』といった誰もが知る有名な詩を生み出しただけでなく、スヌーピーの漫画『ピーナッツ』の翻訳や『鉄腕アトム』の主題歌の作詞を手がけたことでも有名です。エッセイストや脚本家などとして、幅広く活躍した谷川俊太郎さんは、日本人の心に残る言葉をたくさん残してくださいました。
今回は、そんな谷川俊太郎さんの詩とヨガの関係について考えていきたいと思います。

多岐にわたる活躍

原稿用紙と万年筆

1931年、谷川俊太郎さんは東京で生まれます。哲学者のお父さんのもとで育った谷川さんは、1948年に詩作を発表。1952年に詩集『二十億光年の孤独』を発表すると一躍有名になり、人気作家となります。それ以降もたくさんの詩集を発表し、現代詩花椿賞や丸山豊記念現代詩賞、萩原朔太郎賞、詩歌文学館賞など数多くの賞を受賞しました。

詩人活動の他にも作詞家として活躍し、『鉄腕アトム』や『ハウルの動く城』の主題歌の他、数多くの合唱曲や校歌を残しました。このコラムを読んで下さっている方の中にも、母校の校歌が谷川俊太郎さんの作詞だった、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その他、絵本や童話の制作、エッセイ、評論、翻訳などの様々なジャンルで、晩年まで多彩に活躍しました。

小学生の私にも深い印象を残した『生きる』

机に座って教科書をじっと見つめる女の子

谷川俊太郎さんの代表作として、非常に有名な作品が『生きる』ですよね。私も小学生の時に、国語の教科書で読んだ記憶があります。残念ながら、その時の担任の先生が『生きる』の詩でどんな授業を行ったのかはまるで記憶にないのですが、国語の教科書で『生きる』の詩を読んだことだけは、はっきりと記憶に残っています。

確か小学生の時の私は、先生の授業が退屈な時に国語の教科書をパラパラとめくり、繰り返し『生きる』の詩を読んでいたような気がします。だからこそ、大人になった今も『生きる』の詩の記憶がよみがえってくるのかもしれません。

では、まずここで、『生きる』の詩の全文を引用させていただきたいと思います。

生きる   

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと。

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

谷川俊太郎 詩・岡本よしろう 絵. 『生きる』. 初版. 福音館書店. 2017. pp,44

サントーシャを感じとる詩人の心

目を閉じて微笑む女性の横顔

谷川俊太郎さんの訃報を受けてこの詩を久しぶりに読み返した時に、私の胸に強く残ったのは、この詩はまさしくヨガでいうサントーシャをうたい上げた詩なのだということでした。
サントーシャとは、今持っているものだけで満足するということです。でも、それってなかなか難しいですよね。こんなことを書いている私だって、才能は欲しいし、仕事も欲しい、お金だって欲しいし、あれも買いたい、これも買いたいって、欲張り出したら止まりません。
でも、本当は才能だって、仕事だって、お金だって、何もなくたって、今、ここに生きているだけで素晴らしいことなんです。

私たちが生きているこの地球は、奇跡的に出来た星だと言われています。
奇跡のように生まれた地球という星に、奇跡のように、今、ここに生きているということ。
その素晴らしさを心の底から実感して、今、ここに生きている喜びで胸がいっぱいになることこそ、サントーシャの本当の意味ではないのかなと、私は思うのです。

ストレスだらけの忙しい毎日の中で、日々をやり過ごしていくことが精一杯。きっとそんな方は、日本全国にたくさん、たくさん、たーくさんいらっしゃることでしょう。
でも、そんな時に、谷川俊太郎さんの『生きる』という詩は、やさしい言葉で語りかけてくれているだけに、まっすぐに疲れた心にしみていきます。

ああ、生きているだけで本当は素晴らしいことなんだと。

仕事がなくても、お金がなくても、病気を持っていても、疲れ果てていても、歩けなくても、結婚していなくても、子どもがいなくても、何もなくても、今ここに生きているだけで、それは驚くほど奇跡的なことなんだと。
何も特別に面白いことがなくたって、何も持っていなくたって、今、ここに生きているだけで十分。
木漏れ日を見上げて、懐かしいメロディを口ずさんで、くしゃみをして、美しいものを見て、泣いて笑って怒って、さえずる鳥の声を聞く。
それだけで奇跡的なことなんだと、この詩はやさしく教えてくれます。

生きるという奇跡は、私たち全ての人が持っている奇跡です。
その信じられないほど素晴らしい奇跡を、誰もにわかるやさしい言葉でまっすぐに語っているからこそ、こんなにも多くの人に愛されたのだろうと私は思います。

静かな感謝の中で

日光を受け鮮やかに色づいた紅葉の木

谷川俊太郎さんは亡くなる直前、朝日新聞に『感謝』という詩を寄稿しています。これもサントーシャに満ちた詩なので、みなさんに紹介したいと思います。

感謝

目が覚める

庭の紅葉が見える

昨日を思い出す

まだ生きてるんだ

今日は昨日のつづき

だけでいいと思う

何かをする気はない

どこも痛くない

痒くもないのに感謝

いったい誰に?

神に?

世界に? 宇宙に?

分からないが

感謝の念だけは残る

「どこからか言葉が 『感謝』」. 朝日新聞. 2024年11月17日. 朝刊. 13版. p, 25

朝日新聞のコラム『どこからか言葉が』の谷川俊太郎さんの書き下ろしの詩を、私は楽しみにしていました。そしてこの詩を読んだ時、その平和な静けさにハッとしました。

今思えば、おそらくこれは死を目前にして書かれた詩なのだろうと思います。死というものを前にした時に、谷川俊太郎さんの心にあったのは、痛いでも痒いでもなく、ただ、感謝の念だけだったということ。

冬を前に彩った赤い紅葉を見つめながら、何をするでもなく、何かに感謝をしていたということ。その平和な静けさに、ハッとしたのです。

谷川俊太郎さんは生きている間、たくさんの詩の中で、この地球の素晴らしさを、今生きている素晴らしさを語り続けてくれました。そのような詩を残すことができたのは、谷川俊太郎さんが常にサントーシャを心の奥にしっかりと持っていたからではないかと思います。

そして、彼が常に持っていたサントーシャの心は、死を目前にしてますます純度が高いものとなり、平和な静けさとなって彼を包んでいたのかなと、私は感じます。

生前から、死ぬってどんなものなのか知りたいと語っていたという谷川俊太郎さんですから、おそらく、今頃は新しい次元のステージにたどり着いて喜んでいらっしゃることでしょう。そんな谷川俊太郎さんが生きている間に残してくれたたくさんの、やさしくて、わかりやすくて、まっすぐで、面白い言葉たちを大事にして生きていきたいなと、今、私は思っています。

谷川俊太郎さん、たくさんの素敵な詩をありがとうございました。

教科書に載っていた『生きる』も強く印象に残っていましたが、『朝のリレー』も何度も繰り返して読みました。

新しい次元のステージで、楽しんでいらして下さい。

私はまだもう少し、この奇跡の地球で生きていきたいと思います。

最後になりましたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます。