インドの叡智 ~人生の挑戦者とは?~ ‐あなたの限界を超える魔法がここに‐

インドの叡智 ~人生の挑戦者とは?~
‐あなたの限界を超える魔法がここに‐

昨年11月に訪れた、インド・バンガロール。
そこには、ヨガやアーユルヴェーダ、ナチュロパシー、東洋医学、アロマセラピーなど、最先端の統合医療を学べる唯一の大学があります。
大学内には、日本では見かけることのない光景が広がっていました。牛や馬、サル、リス、そして犬たちが、あたかも大学をホームとしているかのように過ごしているのです。
こうした環境での生活は、特別な「ヨガ」を学ぶというよりも日常生活のあらゆる場面でヨガを象徴する出来事や学びに自然と出会うもの。
私にとって特に印象的だったのが、大学に住んでいる「キャンパス犬」の存在でした。

しかし、その話をする前に、今や家族の一員として欠かせないペットについて少し考えてみたいと思います。

なぜ、“ペット”は存在するのか?

なぜ、“ペット”は存在するのか?
なぜ、“ペット”は存在するのか?

スピリチュアリティの観点から言えば、動物たちは人間よりも高次の存在と言われています。彼らは、その存在を通じて私たちに「無償の愛」を思い出させるために寄り添い、生きています。
一方で私たちは、日々の生活の中で、家族や職場、友人や恋人、さらには自分自身を愛することすら忘れてしまうことがあります。その結果、心の中にぽっかりと空いた“スキマ”を抱え、無意識に癒しを求めてしまうのです。

動物たちは、そんな私たちに無条件で愛を与えてくれる存在です。その愛に触れたとき、私たちは心の奥底から癒され、「これが欲しかったんだ」と気づきます。動物たちは、私たちが忘れていた「無償の愛」を思い出させる大切な存在なのです。
こうした動物たちがもたらす癒しや愛は、自然とのつながりを失いつつある現代社会で、ますます重要な役割を果たしています。

この感覚は、かつて私がバリ島を訪れた際に感じた、自然界からのエネルギーと通じるものがあります。例えば、バリ島では、小鳥のさえずりや花の香りで目覚めることができます。現地では、その地で生きる小鳥たちが私たちに不足しているエネルギーを察知し、それを補うように歌うと伝えられています。実際、私は満ち足りた感覚を味わいました。それは、自然界が持つ癒しの力そのものだったのです。動物たちが与えてくれる愛もまた、この自然界の癒しの力と同じ源から来ているのかもしれません。

大学で出会ったキャンパス犬もまた、毎朝、私たちに足りないエネルギーを補うように笑顔を見せ、癒しと元気を与えてくれる存在でした。
しかし、そんなキャンパス犬が見せてくれた “一味違う”生命力の強さに、私は深く心を打たれる出来事に出会ったのです。

骨折しても‥・自分の骨は自分でつないで帰る

少し寂しそうな表情のペット
少し寂しそうな表情のペット

ある日、キャンパス犬が左足にけがをして、ドロドロになって現れたのです。怪我をした脚は全く動かず、それでもけなげに私の方へ近寄ってきました。その姿に胸が張り裂けるような思いを抱きながらも病院に連れて行くこともできず、ただ祈ることしかできませんでした。
ところが次の日、驚いたことにその犬は、しっかりと4本の足で歩いていたのです。まるで「自分で癒す力」を見せつけるかのように、何事もなかったかのような顔をして。
この出来事は、私にある言葉を思いださせてくれました。それは、師匠から教わった言葉です。

行者はヒマラヤで骨が折れたとしても、自分の骨くらいは自分でつないで帰ってくる。それくらいの志でいなさい。

当時は、まさか…と思っていましたが、同じような出来事が私の身にも降りかかりました。
ある誕生日の朝、ハイヒールを履いていた私は坂道で転んでしまい、骨折したまま出勤した記憶があります。後日、病院には行きましたが、私はコルセットをはめることなく、骨折を自力で乗り越えたのです。大変でしたが、あの時の私は何かに突き動かされるように行動していたのです。(※ もちろん、骨折したら必ず病院に行ってくださいね!)

この体験から、私はひとつのことに気づきました。私たちの頭の中の「限界だ」という思い込みが、目の前の現実を作り出しているのです。逆に言えば、その思い込みを手放すことができれば、自分の中に眠っている可能性を引き出すことができる ― 自然界に生きるキャンパス犬の姿もまた、それを教えてくれているのだと思います。

行者は人生の挑戦者

日本ではヨギ―というと、シンプルに「ヨガをする人」という意味合いで使われますが、私は、ヨガをしなくてもヨガ的な生き方をしている人をたくさん見てきました。その人たちに共通するのは、 “常に不可能を可能にしてきた挑戦者”であるということ。そして、彼らは意外にも、人生を楽しむ余裕を持っているように見えるのです。

私が、インドで師匠の講話を聴いていたときのことです。
師匠は、「行者とは常に挑戦的な生き方をするものだ。だからこそ、これだけの叡智が脈々と受け継がれてきたのだ」と話しました。私はその言葉を聞いたとき、はっとしました。今では、ヨガはリラクゼーション技法としても広く知られていますが、実際にはそれだけではなく、常に挑戦し続ける姿勢こそが新たな現実を作り出す鍵になっているのです。

師匠の言葉を胸に、私はこのように考えます。
「無理だ」と思っていることでも、挑戦してみると意外と簡単に自分の限界を超えられることがあります。それは、歯を食いしばって頑張る必要はなく、むしろ肩の力を抜いた瞬間に物事が自然とうまく運び始めるのです。これは奇跡ではありません。むしろ、とても自然なことなのです。
そして、真の行者とは、それが“自然の摂理の一部”であることを知り、それを信じて生きている人のことなのだと思います。

あなたは、今、何に挑戦していますか?
それはきっと叶うものです。
まずは、あなた自身を信じてみてください。肩の力を抜き、挑戦し続けることで、新しい世界の扉が開くでしょう。