あなたは“あなた”を愛していますか?

あなたは、この問いに、すぐに「はい」と答えられるでしょうか?
海外では、多くの人が「Yes」と答えます。特に欧米では、「自分を愛すること」は当たり前のことであり、それが自信(Self-Confidence)につながっています。自信とは、文字通り「自分を信じること」。つまり、自己愛があるからこそ自分の価値を疑わず、堂々と生きることができるのです。
一方、日本ではどうでしょうか? 私たちは「自分を愛する」という言葉に、どこか気恥ずかしさを感じたり、「それはわがままでは?」と戸惑ったりしがちです。私たちは、「謙虚であること」「他人を優先すること」を大切にする文化の中で育ってきました。それらは素晴らしい価値観ではありますが、その一方で、「自分を愛すること」が軽視されることもあります。その結果、自己肯定感が低くなり、人間関係においても不安やトラブルが生じやすくなることがあります。
例えば、自分を認めることができないと、相手の言動に過敏になり「嫌われているのでは?」と不安になったり、相手の期待に応えようと無理をしてしまったりします。逆に、満たされない気持ちを他者にぶつけてしまい、関係がこじれることもあります。
本来、人とのつながりは愛を育む場であるはずなのに、自分への愛が不足していると、それが歪んだ形で影響してしまうのです。
でも、ここで伝えたいのは、自己愛はエゴではないということ。むしろ、それは 「自分を大切にし、満たすことで、自然と他者へと広がる愛」 です。
心が疲れ切っているとき、無理に誰かに優しくしようとしても、どこかで苦しくなってしまいます。しかし自分自身を愛し、心が満たされていたら、 その愛は自然と他者へと広がり、やがて無償の愛へとつながっていきます。そして、この「愛の循環」を生み出すための知恵が、ヨガには詰まっているのです。もはや、他人からの愛を欲する事さえなくなるのです。意外に思われるかもしれませんが、ヨガは「自分を大切にし、愛を無限に広げるための生き方」を教えてくれるものなのです。
そして、この愛のヨガ(バクティヨガ)は、ヨガの4つの道(ラージャヨガ、カルマヨガ、バクティヨガ、ギヤーナヨガ)の中で、最高峰のヨガとされています。バクティヨガと聞くと専門的に聞こえるかもしれないので、ありふれた日常生活の中にある愛について考えていきましょう。
なぜなら、無条件の愛をマスターすることこそが、私たちがこの地球に生まれてきて学ぶべき最も大切なことの一つだからです。もしも、この愛が拡大していけば、地球には戦争はなくなり、もっと豊かで平和な日々が訪れるでしょう。
母なる大地がすべての生命を平等に育むように、私たちもまた「本当の愛とは何か?」を学ぶ旅の途中にいるのです。
母の愛から始まる、愛の本質の探求――エゴか、無償の愛か?

私たちは例外なく「母」から生まれてきました。母の愛は偉大です。多くの母親がわが子を深く愛し、わが子の幸せを願うでしょう。それは自然なことであり、尊いものです。
しかし、ここでひとつ、考えてみてほしいことがあります。
母親が自分の子どもを一番に思う気持ち――それは、本当に「無条件の愛」なのでしょうか?
例えば、家が火事になり、自分の子どもが取り残されていたとします。母親は、迷うことなく我が子を助けようとするでしょう。しかし、それが他人の子どもだった場合はどうでしょうか?そのとき、自分の子どもと同じように他人の子どもを助けられるでしょうか?
この場面での行動には、「愛」だけでなく「罪悪感を感じたくない」という本能的な自己防衛の意識が影響しています。「もし助けなかったら、私は一生自分を責め続けることになる」――この無意識の感情こそが、人間の深いエゴのひとつなのです。
しかし、ここで誤解しないでほしいのは、エゴが悪いわけではないということです。私たちは「愛したい」という純粋な気持ちと同時に、「自分を守りたい」「自分を苦しめたくない」という気持ちを持つものです。これは、人間として自然なことなのです。
もし、ここで「自分の子どもだから」「他人の子どもだから」という区別がなくなったとしたらどうでしょう?誰の子どもであっても同じように大切に思い、同じように助けようとすること――それこそが、無償の愛の拡大です。
母の愛は決して否定されるものではなく、むしろ「最も身近な愛の出発点」なのです。そこから、さらに広く、深い愛へと成長していくことができるのです。それが、愛の本質であり、私たちがこの地球で学ぶべき大きなテーマなのではないでしょうか。
パートナーが教えてくれた、無償の愛 ― 最後にくれた言葉

そんな私も、実は過去のパートナーシップで、ある大きな経験をしました。
20代の頃のことです。当時のパートナーの父が、突然の病で他界しました。彼のお父様は生前、海外でビジネスをしていました。しかし、株価の暴落によって莫大な負債を抱え、その借金を彼が引き継ぐことになったのです。返済には、10年はかかる見込みでした。
この現実を前に、私たちは二人の関係を考え直しました。特に彼は、私のことを心から気遣ってくれたのです。彼の表向きの生活は変わることはありませんでしたが、多額の負債を背負うことになりました。
それまで順調だった交際関係に、突然、世界がひっくり返るような現実が突きつけられたのです。それでも私は、彼のそばにいたいと強く思いました。
「彼が借金を完済するまで、私は必ず一緒にいる」――そう決めたのです。
なぜなら、実際は断ることもできたはずなのに、彼はすべてを受け入れ、迷うことなく父への愛を信じ、その責任を果たそうとしていました。その姿は、私が知らなかった彼の新しい一面でした。それは、彼なりの感謝と愛の形だったのだと思います。そこに私は、親子の絆を感じずにはいられなかったのです。
そして、私は、その愛や、彼が持っている隠れた才能を誰よりも知っていると思っていました。
私は、彼の未来にかけたいと思いました。もちろん、これがエゴだと言われれば、そうかもしれません。でも、私は、彼が無一文になり家を失ったとしても、彼自身の価値は1ミリも変わらないことを深い部分で知っていました。そして、そんな彼を信じられる自分が、何よりも嬉しかったのです。
愛とは、形ではなく、信じること。
私たちは、会うときはいつもこう願っていました。
「明日はどうなるかわからない。でも、今この瞬間の幸せを感じよう」
そうして、予定していた10年の返済期間よりも2年早く、彼はすべての借金を返済しました。さらに、彼は企業役員に昇進していました。
その時、私ははっきり確信しました。この借金は、彼のお父様からの“ギフト”だったのです。(ちょっと辛口のね!)彼の隠れた才能を目覚めさせ、その愛は私にもしっかりと拡大して届いていたのです。完済したその日、彼は海外にいて、直接会うことはできませんでした。でも、その日の夜、彼が初めてこう言ったのです。「今日は、自分のために乾杯してほしい」と。その瞬間、私の目は涙で溢れました。この一言を聞くために、私は8年間待ち続けたのだと。これが、私の愛の実践のひとつです。
あなたは、今どんな愛を実践していますか?
その愛は、誰に届いていますか?たとえ、小さなことでもいいのです。
その愛は、あなたが気づかないうちに誰かの心を癒し、やがて波動となって広がっていくでしょう。
いつか、きっと。