夜明け前の神戸の街

『心の傷を癒すということ』 ~誰もが傷ついた阪神淡路大震災~

※ 本記事では震災に関する内容が含まれています。このテーマに敏感な方は、無理せずご自身のペースでお読みいただければと思います。

みなさん、こんにちは。丘紫真璃です。
今回は、精神科医である安克昌医師の『心の傷を癒すということ』を取り上げたいと思います。2020年1月18日に放送されたNHK土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』をご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。

安克昌医師は神戸の精神科医で、阪神淡路大震災の時には、被災した方々の心のケアの必要性をいち早く感じ、率先して行動されました。当時、災害時の心のケアについては、ノウハウが全くなかったといいます。そんな中、安医師は、全国からボランティアで駆けつけた精神科医の方々と共に、手さぐり状態で被災者の心のケアを行っていたのです。
そんな安医師は、震災が発生した直後から1年間、産経新聞に『被災地のカルテ』というコラムを連載しました。そのコラムがまとめられたものが『心の傷を癒すということ』という本になったのです。
あれから日本は、様々な大災害に見舞われました。能登半島は今も復興の途上で、苦しまれている方が多くいらっしゃいます。
また、3月11日は、東日本大震災の発生から14年になるということもあり、今回は、『心の傷を癒すということ』とヨガの関係について考えてみようと思いました。最後まで、お付き合いいただけたら幸いです。

39歳の若さで亡くなった安克昌医師

入院ベッドに横たわる人の手を握る様子

安克昌医師は、1960年に大阪市で生まれました。神戸大学医学部卒業後、精神科医として働きはじめます。阪神淡路大震災が発生した1995年は、神戸大学附属病院精神科医局長として多忙を極めていた時でした。そんな中、震災で身体ばかりでなく、心にも大きな傷を負った被災者の方々のために、避難所を回ってカウンセリングを行うなどの救護活動を行っていたのです。
医局長として多忙を極める中、避難所を回って被災者の方々の心のケアを行うだけでも、大変な業務量だったと思います。さらに、安医師は、深夜に産経新聞のコラムの原稿を書き、全国に現場の声を届け続けました。

現場が混乱しているその時に、被災地の現状を書くのはとてもつらい作業だったそうです。
けれども、被災地の現場から届け続けたコラムは、1年後に『心の傷を癒すということ』という本にまとめられ、第18回サントリー学芸賞を受賞しました。

その後も被災者の心の問題について取り組み続けた安医師に、2000年の春、肝臓ガンが見つかります。なるべく入院を避けて家族と暮らし、診療を続けていたそうですが、その年の12月。次女が生まれた2日後に、39歳という若さでお亡くなりになりました。

東日本大震災を体験せずにあの世に逝かれた安医師の残した本は、少しも古びず、多くの方々に読まれ続けました。
心の傷の問題は、現代でも深刻な課題です。今、この本を読み直すことは、全ての方に必要な事ではないかと、私は強く思います。

被災者を救助した方もまた被災者

震災で壊れた街並み

そろそろ、本の内容を紹介していきましょう。
みなさん、よくご存じだと思いますが、阪神淡路大震災は1995年1月17日5時46分に発生しました。本の冒頭では、その震災について、安医師自身の体験が綴られています。
安医師の文章を読み進めて行く上でハッとさせられたのは、被災者を救護していた医療関係者の方々もまた、被災者として傷ついていたという事実でした。

考えてみたら、当たり前のことですよね。被災者を治療して下さる医療関係者の方々だって神戸やその近郊に住んでいて、そこには暮らしがあったわけです。そして、この震災で家が全壊したり、あるいは家族や友人が亡くなったりという大きな苦しみに直面していたはずなのに、目の前にいる大勢の患者さんのために自分を押し殺し、治療を続けていらっしゃったのです。
私は恥ずかしながら、この本を読むまではそういうことには思い至りませんでした。

震災で被災者のために働き続けなければならなかったのは、医療関係者の方々だけではありません。消防、警察、役所や、避難所を運営する学校関係者の方もみな、被災者でした。けれども、自分のことは二の次にして、働かなければならなかったのです。

震災の2週間後に区役所を訪れた時の様子を、安医師はこう書いています。

区役所の有り様を見て、私は驚いた。いろいろな相談に訪れ、救援物資を求める大勢の人たちが、府舎を雑踏に変えていた。睡眠不足で目が赤く、疲れた表情の職員が、忙しく動きまわっていた。少々殺気立った大声も聞かれた。こんなに騒然とした役所の有り様を、私ははじめて見た。
案の定、区役所の若い男性職員が、こっそりと救護所に相談に来た。
「こんなところにいるの見つかったら、さぼっていると怒られますわ」
そう言って彼は腰痛と疲労感を訴えた。顔色が悪く、疲れて愛想笑いもできないようだった。聞けば、震災後ずっと役所に泊まり込んで、着の身着のままで仕事を続けているという。区役所の人も住民もいらいらして、少しでも休んでいると叱られる、とも言った。

安克昌. 『心に傷を癒すということ』. 作品社. 2020. pp, 30-31

誰もが傷ついていた

女性の横顔のシルエットと砕けた破片のダブルメージ

この大災害で心の傷を負っていない人など1人だっていなかったのだと、安医師は語っています。もちろん、その傷の深さや種類には個人差があったでしょう。けれども、この震災を経験した全ての人が、何らかのショックを受け、傷ついていたというのです。

例えば、安医師が診察する精神科の患者さん達。精神科の病気は、ほんの少しでも薬が切れてしまうと、深刻に症状が悪化してしまう方がとても多いそうです。そんなことから震災直後には、大学病院の精神科に、病院までとても薬を取りに行けないけれどもどうしようといった相談や、薬が手元に1つもなくて困っていますという相談などの電話がひっきりなしにかかってきたといいます。
薬を頼りにどうにか症状を安定させて暮らしていた方々は、薬がなくなってしまい、どんなに怖かったことでしょう。また、震災という異常事態にあい、症状が悪化してしまった方もとても多かったといいます。

震災の強烈な体験から、PTSDを患ってしまった方もいました。例えば、夫と共に炎の中を逃げ惑ったある女性は、その時の体験が忘れられないと言います。炎の中を逃げ惑っている時に、あっちこっちから「助けて!」という悲鳴が聞こえて来たのに、助けることができなかったと苦しんでいたのです。その女性は、その時に聞こえた「助けて!」という悲鳴が、いつまでも耳について離れず、そのショックで口がきけなくなってしまいました。
炎の中を一緒に逃げた女性の夫も同じ体験をしましたが、女性がいつまでもそのことに悩んでいるのにイライラして怒ってしまったことがあったといいます。自分も同じ体験をしているのに、どうして君だけ立ち直れないのだと、女性を攻めてしまったのです。

このご夫婦だけでなく、震災がきっかけで夫婦のすれ違いが起きてしまったという例はとてもたくさんあったようです。大阪へ仕事に出かけてしまったきり戻ってこない夫への不満から喧嘩になってしまったり、店を失ったことで将来が不安になって喧嘩をしてしまったり。
そうした夫婦喧嘩を見た子どもも、それがストレスになって傷ついてしまう……といった例も、多数発生したそうです。

家族の問題といえば、死別もまた深刻なストレスです。家族との死別が、どんなに心を傷つけるかということは、今さら言うまでもないかもしれません。残された家族で一致団結して、生活を立て直していけた方々も、もちろんいらっしゃったことでしょう。でも、それだけではありませんでした。残された家族の仲がぎくしゃくしてしまい、家庭崩壊につながっていったこともあったそうなのです。
本当に難しい問題ですね。

家が全壊したり半壊したりした方々が、大きな喪失感から心に傷を負ってしまったのは言うまでもありません。しかも、避難所というプライバシーがまるで確保されない中で、不便な生活を強いられたのですから、そのストレスは尋常ではないでしょう。避難所では毎日トラブル続きだったということですが、それもムリはないことなのかもしれません。そのトラブルの対応に追われる学校の先生方も、イライラした避難者に怒鳴られ、心が傷ついていったのです。

かといって、家が無事だった方々は良かったのかというと、そうとも言い切れませんでした。夫や子どもが出かけた後、壊れた家の中で1人取り残される主婦の方々のストレスは、並大抵ではなかったそうです。もう一度地震が起こって家が壊れてしまうんじゃないかという恐怖と孤独に向き合わなければならないのは、心細いなんて言葉ではとても言い表せないものがあったことでしょう。

震災直後に、神戸を離れた人は大丈夫だっただろうというと、それもそうとばかりは言えなかったようです。神戸の町は、ビルが崩れ、焼野原になりました。神戸の町は現実とは思えない状況に陥っているのに、隣の大阪に避難してみたら、町は無傷で人々は当たり前の日常生活を送っている。そのギャップに心が追いつかないと感じたり、自分だけが安全な場所にいる後ろめたさに悩んでしまったりしていたそうなのです。

このように、どんな状況にあった方も大震災という災害に見舞われて、何らかの心の傷を受けたのだということが、この本では丁寧に語られていきます。

当たり前のことにハッとさせられた気づき

空を見上げる女性

私は神戸在住ですが、阪神淡路大震災は経験していません。当時は幼稚園児で、埼玉県に住んでいました。震災の記憶も、ほとんどありません。
私が神戸に引っ越したのは、震災から2年後のことでした。その時には、神戸の町は綺麗に再生されていて、パッと見たところではまるで震災などなかったかのようにも見えたのです。もちろん、仮設住宅はまだ建っていましたが、ずいぶん少なくなっていました。そのため、小学生だった私は、震災の影響をほとんど感じなかったのです。
大震災を経験していないせいか、私は、あの震災を経験した多くの方が、どんな心の傷を受けたのかということまで思い及びませんでした。
もちろん、あれだけの深刻な被害が出た大震災です。多くの命が失われました。残されたご家族が、どんなにか悲しかったか。家が全壊したり半壊したりした方々が、どんなに喪失感に襲われたか。
水や電気、ガスなどのライフラインが全て断絶されたストレスや、避難所生活のストレスくらいは、私にも想像できます。
けれども、家や命が無事だった方々もまた、いろんな形で震災の影響を受け、心に傷を負っていたのだということまでは、とても思いおよばなかったのです。
故郷がめちゃくちゃになり、今まで住んでいた町が一瞬にして破壊されてしまったのです。そのショックは、どんなだったでしょう。家や、家族や、命が無事なのは何よりだということはもちろんですが、だからといって心に傷を受けないかといえば、決してそうではないはずです。
なのに、私はそんなことまでは、とても思い至りませんでした。私の想像力が足りないだけかもしれませんが、家や、家族や、命が無事だったらひとまず安心なのだろうと、そんな風に思ってしまっていたのです。

でも、この本がそんな縛りをスルスルとほどいてくれました。
震災を経験した全ての人が、個人差はあるにせよ、いろいろな形で傷ついていたのだということを、丁寧に教えてくれました。あの震災を経験して傷つかない人などいないのだという当たり前の事実に、私は目を見開かれたのです。

そうしたことから、この本は、私にとって縛りをほどいてくれた本となりました。ヨガでは、常識や思いこみといった縛りをほどくことがとても大切だと言われていますが、まさしく、この本を読むことそのものが、私にとってはヨガ的体験だったということができると思うのです。

そして、さらにこの本で語られている安医師のメッセージとヨガの関係について、いろいろ語りたいところなのですが、すでに長くなりすぎてしまいましたので、次回に持ち越したいと思います。