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2022年京都賞を受賞したタブラ奏者ザーキル・フセイン氏は、インド古典音楽界でスーパースターのように絶大な人気を誇っています。
先日、私がインド音楽を学ぶ学校ヴリンダーヴァン・グルクルにて講和と実演を行い、グルクルの生徒と、現役の音楽家だけに向けて貴重な話をしてくれました。
ザーキル氏は最も人気があり尊敬されている音楽家なので、インドの地方からも著名な音楽家が集まりました。
ザーキル氏は、音楽を通して人間の生き方について説いてくれます。
音楽を志す人にとっても、そうでなくても、自分の人生に迷わないための学びがとても多く、集まった人たちに大きな光を与えてくれました。
人生とは朝日に向かって歩むもの
ザーキル氏は、人生をどのように歩むべきかを教えてくれました。
人には大きな夢があります。それが音楽家にとっては、超越した瞑想の境地です。
音楽を演奏していると、瞑想状態が深まり、ある時超越的な体験が起こることがあります。
それはインド古典音楽に限らず、ロックであっても、ジャズであっても同じです。
その一瞬の最高な場所を目指し、ミュージシャンたちは日々練習を重ねます。
それを、朝日に例えて話してくれました。
「僕は、あそこに太陽があるのを見えている。自分がどこに向かって歩むべきなのか見失うことはない。だけど、決してそこに到達することができない。だから、今でも練習を続けているんだ。」
会場には多くのタブラ奏者も集まり、多くの人にとってザーキル氏は太陽のような存在です。
他の人たちがゴールとしている人であっても、本人はまだゴールに辿り着けないと話します。
「それで良いのだよ。一生ゴールには辿り着けないだろう。だから、楽しんで歩み続けることができる。もしも音楽家が目指すゴールに到達してしまったらどうなるのか。そこで人生は終わりだよ。」
リズムも人生も、どのように歩むかを想像するもの
インドのリズムにはサム(1拍目)がある。
それが1つの区切り、ゴールだとすると、そこに合わせて進むのは誰でも同じなんだ。
この会場の向こうの壁がサムだとすると、16拍を通ってあの場所に到達するのは同じだ。
だけれども、ちゃんと意識を持って歩いてみよう。
僕が会場の向こう側に到達するまでに、君たち沢山の人の顔があり、表情があり、感情がある。
色も形も違う。僕は真っ直ぐに進むこともできるし、遠回りをしながら他の人の顔を楽しむこともできる。
ゴールが決まっていても、そこに歩む道は自由。これがインド音楽なのだよ。
僕が歩む道に、もっと意識を集中しないといけない。なんとなく歩いていてはいけない。
ちゃんと1人ずつに向き合いながら、楽しみながら、歩かないと意味がないんだ。
そのように話してくれるザーキル氏は、実際に誰に対しても真っ直ぐに向き合ってくれます。
私も年に数回しかお会いしませんが、気が付くと必ず優しく、真っ直ぐな瞳で話しかけてくれます。
何百万人のファンがいても、出会った1人1人のことを忘れません。
音楽に向き合う姿勢が、そのまま人生の向き合い方なのだと感じました。
自分自身の道を歩む。誰かのコピーにならない
ザーキル氏は、自分の音楽キャリアに大きな影響を与えたラヴィ・シャンカル氏※1との思い出を話してくれました。
「僕が初めてラヴィ・シャンカル氏の伴奏をさせてもらった時だ。まだ15歳くらいだったと思うが、僕はすでに自信満々だったんだよ。
幼少期から父と一緒に舞台に立たせてもらい、同じ舞台上でラヴィ・シャンカル氏と父の共演を見てきた。僕はあらゆる演奏パターンを記憶して練習した。全ての準備は出来ていたんだ。
しかし、いざラヴィ氏との初コンサートが始まると、練習してきたことが何1つできなかった。ラヴィ氏は、僕が練習したことを発揮する機会を与えてくれなかったのだ。
僕の伴奏がどうだったのか、良いとも悪いともいってくれないままインドの5都市でのコンサートが終わり、僕らはフライトに乗っていた。その時初めて話してくれたんだ。
『君の父がやったことは、僕は君の父とすでにやったことだ。終わったことだ。それをコピーしようとするな。君とは新しいことを生み出さなくてはいけない。』」
私たちが人生を想像する時にも同じです。誰かが成功すると、それを真似して自分も成功を得たいと考えがちです。
私たちは、失敗を恐れた結果、誰かの劣化版に自らなろうとしてしまいます。
- ※1
※ラヴィ・シャンカル(1920-2012) ::インドのシタール奏者。ビートルズのジョージ・ハリスンにシタールを教え、世界中にインド音楽の魅力を伝えた。
正解不正解の区別はない
1人のタブラ奏者が質問をしました。
「私のグル(師)はこれが正解だといい、他の流派の人は間違いだと言います。何が正解なのでしょう。」
ザーキル氏は、一通り音楽的な説明をして、両方受け入れることを教えてくれました。
また、正しいか正しくないかというジャッジをやめるべきだと話します。
「インド音楽が始まったのはいつなのか、何千年前からなのか。それは違う、ここにいるハリジー(Pt. Hariprasad Chaurasia;バーンスリー奏者)が生まれた時から。(昨年亡くなった)シヴジー(Pt. Shiv Kumal Sharma:サントゥール奏者)が生まれた時から。」
古い伝統のあるインド古典音楽では、何が正当なのかという議論が活発に行われています。
しかし、音楽に正解も不正解もないのだとザーキル氏は言い切りました。
音楽が生まれる瞬間は、その音楽家が生まれて、音楽を奏で始めた瞬間だと言います。
私たちが演奏する音楽は、すでに誰かが作ったもののコピーではなく、全く新しいものだからです。
「このタブラ奏者はこのように演奏する、別の奏者はこのようにする。ラッキーではないか。自分は両方のアイディアをもらうことができたのだから。
可能性は多いほど良い。
きっと偉い音楽通の人に指摘されるだろう。
『今の若い音楽家は間違っている。自分たちが若い時には素晴らしい音楽家が何人もいたのに』そんなぼやきは聞き流しなさい。
誰でも歳をとれば、自分の若い時の思い出に浸りたくなるのが人間さ。」
人生はトライアンドエラー。失敗は恐れない
どうして人は創造的になりきれないのか。
特に人前で演奏する舞台の上では、練習してきたことを間違えないようにと硬くなってしまいます。
「君たちは、伝説の音楽家と呼ばれる人たちのことを勘違いしているかもしれない。
しかし、実際に『伝説』と呼ばれる音楽家のコンサートに行くと、他の平均的な音楽家よりも劣っていると感じることもある。
彼らは、常に舞台上で新しいことにチャレンジしているのだよ。それは、本物の超越した境地を見つけるために、常に自分の限界に挑戦しているからだ。
伝説と呼ばれる音楽家でも、その体験をできるのは良くて10回に1度だろう。それで良いんだ。たった1回の最高が得られるのなら、何度失敗をしても良いじゃないか。」
実際に私の師であるハリジーも、いつもコンサートの楽屋で「今日は新しいラーガを作った!これをやる」と話します。
曲は、コンサートが始まってから即興で作曲することも多いので、演奏の途中で少しずつ変わることも多く、伴奏者はとても苦労します。
しかし、80歳を超えても新しいものを求める姿勢に、誰もが圧倒されます。
道を見失ってしまったらどうしたら良いのか
1人の生徒が質問をしました。
「長い音楽人生の中で道を失ってしまうことがあると思います。どうしたら良いのでしょう。」
ザーキル氏は「今話したばかりではないか。」と回答しました。
「僕はあの朝日に到達したい。それは間違っていない。
そのために、どのように歩むのかは自分次第だ。
だけど、決して真っ直ぐな最短ルートを見つけられると思わないこと。
そこに向けて歩く中で、様々な道を選んで、人と違うかもしれない。しかし、正解なんてものは1つもない。
誰かの決めた古典音楽の伝統には従えないかもしれないけれど、良いじゃないか。僕たちが目指すのは音楽であって、音楽には垣根がないのだから。」
練習の集中力を保つには
現代社会では、集中力を保つことが困難だと言われています。
マルチタスクで複数のことを同時に行う機会が増えましたし、特にスマートフォンの誘惑が強く、音楽を勉強する若い生徒たちもなかなか練習に集中できません。
ザーキル氏は、そんな悩みを感じたことがないと言います。
「タブラが『音楽を奏でよう』と誘ってきたらタブラを演奏するんだ。嫌々練習したことはないし、僕にとって練習はいつも楽しいこと。」
人間の集中力には限界があります。1時間連続して集中できる人はとても少ないです。
誰でも20分くらい練習をしていると、別のことを考えてしまいます。
「1日10時間、12時間集中して練習しろなんて言わない。僕だって2時間半とかだよ。信じられるかい。
しかし、練習中は100%の完全な集中状態でないといけない。
もしも集中が途絶えて雑念が湧いたら、練習を離れる。中途半端な練習はしない。
その代わり、音楽は心の中に24時間流れている。楽器に触れていない時も、音楽は続いている。」
伝統的には、練習時間が長ければ長いほど良いと言われます。
しかし、自分自身の集中力をマネージメントするためには、どうしたら良いのか。多くの音楽家が悩むことです。
それを教えてくれる1つのヒントを与えてくれました。
自分の生き方を振り返る
自分は音楽家ではない、という人であっても、感じることは多いと思います。
特にヨガを練習している人は、ヨガと音楽が全く同じだと思う部分が多いと思いますし、筆者にとっては「バガヴァッド・ギーターでクリシュナが話していることと全く同じ」と感じた部分が多いです。
ザーキル・フセイン氏は、昨年参加したアルバム「AS WE SPEAK」が現在グラミー賞の3部門でノミネートされています。
そのアルバムには筆者の先生であるラケーシュ・チョウラシアも参加しています。
音楽流派の垣根を越えて、ただ良い音楽に出会いたいと、本作ではアメリカのブルース音楽との共演をしています。
真剣に向き合った人にしか辿り着けない境地があるのなら、それを見てみたいですね。
毎日の生活の中には、まだまだ惰性の時間があり、そんな自分自身の生活も見直しました。